廃止でいいの?後期高齢者医療制度(その3)

終末期相談支援料という報酬も問題になりました。「はやく死ねということか」と怒りで顔が引きつれたお年寄りの顔が忘れられません。しかし「死ぬ時は家で死にたい」「意識もないのに多数の管を入れられてまで延命して欲しくない」と同時に望んでおられる高齢者はたくさんおられます。回復の見込みの薄い場合、延命治療を行うかどうかについて前もって確認した場合医療機関に支援料が支払われる制度ですが、野党(当時)政治家の露骨な非難、一部マスコミのまるで鬼の首を取ったような恣意的な報道によって一時凍結となってしまいました。
すべての人にとって絶対に避けられないのが死です。寿命が尽きようとしている身体にスパゲチィみたいに多くの管を通し、全身ぶくぶくになり顔も変わってしまうほど水を入れ、挿管して生命維持を図る治療に何の意味があるのか。心停止に至っているのに「東京にいる息子にひと目会わせるまで」との家族の希望を入れて身体に馬乗りになって、肋骨がバキバキ折れるほどの心マッサージを続けることをいつまでも是としていてよいのか。人の死を医療の敗北とする終末期医療は一体いつまで続くのでしょうか。
永田町を怒りに満ちた表情で抗議を続ける高齢者の映像を見る度、新しい制度の本来の意味を国民にわかりやすく説明し理解させる責任をもつ部門や顔はどこの誰なのか、疑問に思います。国民一人ひとりにとって極めて大事な問題であるのに、真の国民的議論が必要であるはずなのに、政争の具にされている。これで先進国といえるのか本当に残念です。