「日本海軍はなぜ過ったか 海軍反省会四百時間の証言より」が教えてくれること   (その4 続・戦争は二度と手に入らない教科書)

ところが、言った当人が終戦と同時に、「あ、死ぬよりも、新しい国の復興のためにしたほうが役に立つんだ」と目が覚めるのです。
そんなこと、どちらかというとすぐにわかりそうなものですけど、それでほとんどの人が、そのまま天寿を全うする。戦後を生きていくわけです。
私は死ねばいいとは思いません。けれども、約束によって命令を出した相手は本当に死んでいるわけです。そういった深い約束をしているのに、それを一瞬にしてコロッと忘れて、周囲もそれを認めている。そういう人が戦後を作ってきたと思うとどんな約束でも状況が変わったら破っていいのだという風潮があるような気がするのです。
 こうすればよかった、という簡単な結論は言えないのですが、その約束というものは、本当に命がけの約束というものは本来、きちんと守らなくてはいけない。そういう世の中にならなくてはいけないのではないかと思うのです。「おまえ行け、俺も行く」と言って、相手は死んでいるのに、その数十分後にコロッと態度が変わるような人がいる。本当にそれでいいのか、という気持ちです。
 私は、一番激しい戦闘をした艦爆乗りの人を知っていましたが、彼は8月15日の午前10時ごろに特攻攻撃を命ぜられ、飛んでいるのです。命令する人は、数時間後に終戦が来
ることを知っています。指揮官は知っていて、まだ終戦ではないからと行かせるのです。
それでその時点でも必ず、「あとから行く」っていうのです。でもほとんど「あとから行く」ことはしないのです。そういう人たちが作った戦後というのが、戦後の一つの歪みの原因に潜んでいるのではないか、という気がしてならないのです。(戸高一成氏)