「日本海軍はなぜ過ったか 海軍反省会四百時間の証言より」が教えてくれること (その6 海軍反省会の生い立ち)

戦争は悲惨なものであり、家族を失ったり人に話せないような悲しみのどん底に追いやられた敗戦国民の多くは、その話題には沈黙を保ち、記憶から遠避けたいとするのでしょ
う。しかし、長い長い時間が経過し、人生が終盤を迎えるころ、自分たちに残された時間に限界を感じるにつれ、戦後の多くの日本人がそうであったように、戦争への道の重要な
瞬間に立ち会った海軍将校たちも、重い口を開き始めました。年齢的な点からも、海軍において枢要な地位にあった人物が沈黙のままに次々と亡くなる中で、自分たちに残された
時間も僅かなものに過ぎないとの焦燥感から、いま、自身の体験や記憶を記録にしておかなければ、多くの事実が失われてしまう、とも考えていた(戸高一成氏)
そうです。
 きっかけは昭和52年、海軍士官の親睦団体であった「水交会」で元海軍中将の中澤佑氏から海軍時代の話を聞く会が持たれ、その中で中澤氏から「海軍は美点も多かったが、反
省すべきことも少なくない。反省会のようなものを作ってみては」という提案があったそうです。
 第1回の反省会は昭和55年3月に水交会で開催され出席は9名であったそうです。この時、会の正式名称を「海軍反省会」とすること、反省すべきことを忌憚なく自由に発言す
るために、あるいは個人攻撃に類する発言があることも予想されるので、会の記録は将来の日本に伝えるものではあるが、当面は一切外秘として公表しない。会員が認めた海軍関
係者以外一切の部外者の出席を認めない、との方針を確認し、毎月1回のペースで平成3年4月の131回まで続き、テープに録音されました。出席者の希望は主な発言者が生存中
は絶対に公表しないことでしたが、」全く公表されなければ、自分たちの発言の意味もなくなるから、時機を見て、きちんとした形で発表してほしいというものでした。100回を超え
るころから、開会当初の古老というべき会員が次々と亡くなり、11年に及ぶ“生の声”の収録が終了したのでした。