「日本海軍はなぜ過ったか 海軍反省会四百時間の証言より」が教えてくれること (その8 長期展望の欠如)

日露戦争の勝敗を決定づけた日本海海戦で参謀長を務めた秋山真之はロシアのバルチック艦隊を日本海にて撃滅するため最大7派の迎撃を行い、ウラジオストックに入港する前に殲滅する漸減邀撃作戦を立て、実際に一昼夜の戦闘でそれを殲滅し大勝利をもたらしました。それ以来日本人の特性というのか、特に海軍においては大勝利の成功体験から離れられず、時代は変化しているのに、敵艦隊を潜水艦などで攻撃し、徐々に戦力を弱めつつ日本近海までおびき寄せ、そこで大艦隊が迎え撃って敵を殲滅するという艦隊決戦を作戦の軸としてきました。大艦隊同士の決戦を制するのは巨砲の存在が必要と戦艦はますます巨大化する大艦巨砲主義を貫いてまいりました。
 日露戦争以後、日本陸軍はロシアを、日本海軍はアメリカを仮想敵国として軍備計画を立ててきました。対米作戦をするとき、どういう形でやるかという海戦要務令(1901年制。海軍の戦闘指揮にかかわる兵術の基準を示したもの)が必要だったのですが、なんと、それがなくて、昭和9年の海戦要務令(第4回改正)のまま戦うのですよ。明治以来それまでは何遍も改正していたのです。(中略)そのあとの昭和10年代には潜水艦と飛行機が登場します。(中略)それはまったく入っていないのですよ。入っていても補助程度です。(中略)昭和9年度版は当然直さないといけなかったのです。飛行機と潜水艦を主力に考えてつくり直すべきで、大艦巨砲の艦隊決戦なんてありえないと思ったほうがよかったのに残念ながら、思わない人が多かったのですね。(半藤一利氏、続く)