「日本海軍はなぜ過ったか 海軍反省会四百時間の証言より」が教えてくれること(その14 排除の論理)

この本によりますと、開戦時の海軍の将兵は約32万人、このうちの海軍の幹部は海軍兵学校出の兵科の士官は新品少尉まで入れておおよそ5000人、管理職の佐官以上は2000人を切る人数だったそうです。そういう規模の会社と思えば、その中でいかに自分が出世していくかを常に考えながら仕事をしていく。海軍だって人間がやっていることなので小さな部署の人間として自分の部署を守る、という形にならざるを得なくなる(半藤一利氏)そうです。
組織というものは不思議なくらいに、少し飛び抜けて一歩進んだ人はいらないのです。邪魔なんですね。排除の論理というか、阻害の論理というか、「俺たち仲良くやってんだから、おまえ、そんなつまんない変なことを言うな」というような、排除の精神が動くんです。どこの会社や組織でもそうだと思います。(中略)きちんとした勉強をして素質的にも優れた人がいたにもかかわらず、海軍としての組織は排除するんです。軍人というのは、仲良しクラブでまとまっていく、つまり、余計なことはやるなよ、という考え方が強いんです。(半藤一利氏)
 どこの会社や組織でもそうなのでしょうか。私個人の意見ですが、これは誰もが海軍兵学校を卒業し、海軍で励んで佐官クラスになれば、みんな平等の立場である公的機関だからそうなのではないのでしょうか。国家公務員上級職(今はこういう呼び方をしないそうですが)に通り、官庁に入ると確かにそうなのかもしれません。公務員だとそうなのかもしれません。しかし、私的な組織、私どもの世界である私立病院を例にとると、相澤先生のところも、近森先生のところも、理事長が大きな借金をして、それを跳ね返す素晴らしい個人的魅力、つまりカリスマ性で部下をぐいぐい引っ張っていかれている。個人の企業も同じことが言えるのではないのでしょうか。ここに私立の自由度と先進性があるのではないかと思います。