お勉強はもう苦痛ではないですか?-慢性期医療へのお誘い-(その9)

印南一路氏の「社会的入院の研究」を読みました。社会的入院を生じる一因が我が国の低密度医療にあるとする氏の指摘に共感いたしました。一部を紹介いたします。
一人暮らしの健常高齢女性が、自宅の庭で転んで大腿骨頚部骨折を起こし整形外科の病院に救急搬入された。一週間後の手術は成功したが、ひと月安静入院を続けていたら筋力の低下が起こり、老女は一人で歩けず身の回りのことができなくなった。家族は止む無く介護保険の申請をし、それが下りるまでさらにひと月間入院の継続を願い出た。しかし、入院期間中に褥瘡ができ、認知症も併発したため、近くの療養型病院に転院した。同院ではリハビリも行うことになっているという説明を受けていたので、入院をしていれば回復するかもしれないと家族は期待をしていたが、寝たきりで認知症は悪化し、「胃ろう」による経管栄養を行っているため介護施設は引き受けてくれない。療養型病院に入院して早三年になる。
対して、米国での同様のケースでは、
救急搬入後、翌日手術が施行され、2日目からは鎮痛剤を使用しながら、痛みに耐えリハビリを開始した。五日目には杖をついてなんとか自宅に退院。ボランティアにリハビリセンターへの通所をサポートしてもらい、必死でリハビリを行った。たった五日間の入院でも入院費は高くついたが、早期リハビリのおかげで全身の筋力の低下は最小限に抑えられ、二か月後には通常の家庭生活に戻った。
と、日米のよくあるパターンを紹介し、
高齢者を病院に入院させることは高齢者に優しいことか?保険料を払っているのだから、いたいだけ病院にいる権利があるか?と問いかけ、本当の権利は高齢者本人がその人らしく生きること、高齢者は、急性期に特化した病院で高密度の治療を受け、最短の入院期間で退院し、速やかにリハビリを開始すべきである、としています。さらに、人生の最後が台無しになった責任は誰が取るのか、と疑問を投げかけておられます。

お勉強はもう苦痛ではないですか? -慢性期医療へのお誘い- (その8)

今、療養病床に変革の波が押し寄せています。ご承知の通り、2011年度末には介護療養病棟の廃止が決定しています。医療療養病棟も2006年の改定から医療・ADL区分別の支払い方式が採用され、次第に病床数を減らしています。仮に政権が代わったとしても、民主党医療制度改革大綱によれば療養病床の30%に当たる11万床、一般病床は26万床もの削減が計画されています。
 8月30日に投票日を迎える総選挙に向けて、各政党はマニフェストを出していますが、どれを見てもばらまき合戦の様相です。バラ色の給付と引き換えにだれがどう負担するのか、負担増の話には触れず、財源をどうするかはあいまいにしておいた方が選挙戦に有利だとの判断で、選挙戦になだれ込むようです。財政構造改革路線からはるかにかけ離れた政権運営がなされ、国(国民)の借金はさらに膨れ上がります。しかし、選挙が終わると現実的な問題として経済の低迷による税収不足から、歳出削減を求める声が高まってくるでしょう。われわれ医療や介護の業界は経済不況の数年後からその影響を受けると一般的に言われております。2年半後の2012年の医療と介護の同時改定はわれわれにとってさぞや厳しいものとなるでしょう。小泉構造改革路線は聖域なき行財政改革を進め、医療崩壊の原因を作ったと酷評されておりますが、その狙いは団塊の世代が高齢者の仲間入りを始める2012年までに、社会保障の伸びによる財政負担を将来に付け回さない仕組みを作ろうというものでした。現在の出生数の倍以上の2百数10万人が毎年毎年高齢者の仲間入りを始めます。年金を含めて国民への負担は増し、それによる医療・介護の単価の抑制は不可避です。2012年度は医療・介護業界厳冬時代の幕開けなのです。

お勉強はもう苦痛ではないですか? -慢性期医療へのお誘い- (その7)

私はケアミックス病院である白十字病院の介護力強化病棟で担当した経鼻チューブから栄養をとり、関節が拘縮し動けない高齢者、認知症が進みコミュニュケーションがとれない患者さんに対する無力感から、大学に代わる慢性期医療に必要なスキル習得のための講座の必要性を感じていました。そこで福岡の「実践老年病研究会」で講師を務められた、それぞれの領域で優れた業績を挙げておられる先生方に短い講義を頂いたあと、「実際にこういうことが困った」、「あのような時はどうすればいいんだろう」という疑問に応えて解説をしていただく勉強会を開催したいと計画をしています。まさしく実践の老年病の講演会です。まずは、われわれの施設で始めます。福岡市の白十字病院と佐世保市の燿光リハビリテーション病院をテレビ会議システムで結び医師の他、看護師、コメディカルスタッフ有志とこの10月より開始予定です。ストレスだらけの急性期医療に疲れた貴方、慢性期で戸惑っている貴方、お近くの先生なら参加されませんか?是非、お待ちいたしております(笘霈€092-891-2511、白十字病院看護部、深川までご連絡を)。
実はこの手のスキルアップ講座は7~8年も前から実現を夢み、企画をいたしておりました。慢性期医療、特に高齢者ならではの病態の研鑽は当時スポットライトを浴びてはいませんでしたが、いまに必ず必要になるからとある医療関係の大会社と実現に向けて汗をかいていました。全国には優秀なスキルを持ち慢性期医療の現場でご活躍になっている先生方が沢山いらっしゃるので、そのスキルを伝える衛星放送を発信したいと考えました。東京や大阪にわざわざ出張して講演を聴きに行く暇が取れないのだから、医局の受像機に送る方法がとれないものか考えました。大学受験の予備校にでもできることです。この大切なスキルの伝達が「働きながら学べる」ためには衛星放送しかないと考えたのです。しかし、どれほどの視聴者が得られるだろうか、講座にお金を払って見てくれる病院が採算ベースを上回るだけあるだろうか、との観点からこの話はそれ以上の進展をみることはなく、立ち消えになりました。今になって、高齢者医療の研修受講が義務付けられたり、慢性期医療認定講座が満席で入れないのをみると悔しい想いでいっぱいですが、もう人に頼らず、わが法人で出来るところから始めることにいたしました。

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お勉強はもう苦痛ではないですか? -慢性期医療へのお誘い- (その6)

福岡に「実践老年病研究会」という高齢者医療に明日から役に立つエッセンスを討論する研究会があります。平成14年に始まり、今年4月に第19回目を迎えましたが、担当のMRさんに講演記録を見せていただいたところでは、取り上げられたテーマはやはり前回(その5)列記したものがその中心でした。会では複数の講師が講演の後、質問に対しそれぞれの経験から答えていくというやり方が多かったそうです。未成熟な分野であるだけに偏りのない知見を複数の講師が提供するという方式をとっておられるようです。福岡では実に多くの研究会が開催されますが、この会は自発的に参加される医師や看護師が多く、その数は毎回150人に達する勢いだそうです。いかにこの分野のスキルを学びとる機会に医療人が飢えていたかを物語っていると思います。
 最近、在宅医療を評価する考え方から、高齢者の在宅医療を支える医師の教育の必要性に注目が集まりつつあります。後期高齢者医療制度の後期高齢者診療料の算定に当たっては高齢者医療の研修受講が義務付けられています。日本慢性期医療協会は医師・看護師向けの今年で3回目の慢性期医療認定講座をこの夏開催いたします。プログラムはリハビリ部門を除いてやはり同様のテーマでした。定員は200名だそうですが、毎回申込が多くすぐに定員に達するそうです。
 医師になるには国家試験をパスしなければならず、医学生は懸命に勉強します。その量は他の国家資格と比べても格段に多く、難度も相当に高いものです。しかしながら、医学部の教育の中に高齢者医療、老年病を対象とした講座は極めて稀で、大学付属病院に療養病床がない現状では、輩出される医師は急性期医療対象者のみです。医師になるのに100勉強が必要であるのなら、この高齢者医療に自信を持って取り組むにはあと10勉強をすれば足りると思うのです。いきなり療養病棟での勤務を始めても戸惑わないレベルまであと一割のレベルアップで事足りるわけです。ゆっくりと、働きながらでも学べるシステムがあればこれが可能になります。

お勉強はもう苦痛ではないですか? -慢性期医療へのお誘い- (その5)

 急性期病院を60歳あるいは65歳で定年になって、一枚の医師免許証を頼りに療養病床へ勤めを変えることは、半ば当たり前のように行われて参りました。そればかりか医師不足で悩む地方の療養病床では定年後の医師はまだまだ引く手あまたです。医療密度の濃い病棟は慢性期医療では数少なく、今を勝負しないと患者さんが命を落としてしまう急性期病床と比べ、患者さんは明日まで待っていただけます。ゆっくりと調べ物をして、あるいは学んでからでもOK。精神的な余裕が違います。
複線型の教育、スキルアップの必要性を書きましたが、私自身も15年ほど前、ケアミックス型の福岡の白十字病院で療養病棟(当時は介護力強化型病棟と呼んでいたと思います)で7~8人の患者さんを担当していた折、高齢者に対する臨床力のなさを痛感し、戸惑っておりました。当時の療養病棟は過半数の患者さんが経鼻経管栄養で、関節は拘縮した、いわゆる寝かせきりの病棟でした。褥瘡や排尿障害、誤嚥性肺炎、高齢者特有の鬱病や不眠、認知症に対する対処が課題でした。これは現在の療養病棟でも同様と思われます。しかしながら、急性期病棟から転向してきた医師でこれら各領域に対応できる医師はいったいどれだけいるのでしょうか。これらを履修する機会は医学部の教育の中に、ほんの一瞬、断片的に出ては参りますが、高齢者を対象とした系統的な講義ではないために、自信を持って診療に当たれるレベルには達せません。私の知る限り、全国の大学病院にはただの1床も療養病床はなく、学生や研修医が慢性期医療の現場を知る機会はありません。解決しなければならない課題が山のように山積しているのに、慢性期医療を大学が研鑽の場として認めていない以上、系統的な講義はもちろん、新しい知見や技術の開発は望めません。老年科はいくつかの大学にあるものの、研究の対象が高齢者というだけで、高齢者特有の生理や機能を教室員すべてに“慢性期医療のプロ”として教育されている大学を私は知りません。急性期病床として現在稼働している病床数をその数で上回り、長い時間とお金をかけて運営される療養病床が、いまのまま振り向かれない存在でいいのでしょうか。「そんなことは民間でやればよい」「大学でわざわざ研究することではない」と相手にされないままでよいのでしょうか。
数年前、ある大学病院の責任のある立場の教授に、「ぜひ大学に20床程度でいいから療養病床を作ってください。救命救急部で人工呼吸器に繋がれて長期入院している患者さんや病状が安定しないため退院が遅れている患者さんを集めてそのケアを学問として評価し、それを全国に発信してください」と提案したことがあります。無理なお願いと思ってはおりましたが、やはり体よく断られました。

お勉強はもう苦痛ではないですか? -慢性期医療へのお誘い- (その4)

医師は自己研鑽をするのだと日本医師会や地域中核病院の主導で各種研修会が盛んに行われています。ある程度の知識を補うことはできそうですが、系統的な集中プログラムはあまりお目にかかれません。ましてや“明日から役に立つ手技”の取得は望めません。
 医師不足が深刻化し、病院崩壊が叫ばれる中、結婚・育児で長期現場を離れたママさんドクターに対してフレックスタイム制などを活用した再就職支援計画が現在注目されています。紙面では、麻酔科医師などフレックスタイム制度が活用しやすい分野では効果を上げていることを伝えています。しかし、これはゼロ勤務の状態から就勤を目指す試みであり、働きながらスキルアップを目指すこととは根本から異なります。勤務医不足が喫緊の課題となっているのに、スキルアップすれば勤務医寿命がもっと伸びるのに、どうもこの国はこの問題に関して真剣に取り組む姿勢に欠けているように私には思えます。
 我が国の一般病床数は90万床を切り、在院日数の短縮とともに占床率は下がり、確実にその数を減じています。厚生労働省が示す将来像はいつの間にか必要一般病床数は40~50万床とされています。「半分は消えなさい」というメッセージでしょうか。なんとなく一般病床と届けたベットはどこへ行けばいいのでしょう。急性期ベットとして生き残った現場ではとてもストレスフルな毎日です。DPCの導入で常に他院との比較にさらされるようになり、医療の効率化はとめどもなく進みます。「折角入院したのだから、ゆっくり骨休めして」とかつては農耕民族日本人の骨休めの場であった病院も、国家財政のひっ迫とともに在院日数は世界各国のレベルまで短縮するのは時間の問題です。開業が難しくなると、ポストを巡る医師同士の競争は激しくなり、スキルアップが常に求められます。患者さんの家族は強烈な自己主張の団塊の世代、医療技術レベルへの過度な期待と安全管理が当然視される中で医療の不確実性を伝えなければならない難しさなど、患者意識の急激な変化についていけない現場は明るくはありません。いつまでも続く当直と医療訴訟の恐怖など急性期医療の現場にあなたはいつまで耐えられますか。お勉強はもう苦痛ではないですか。そろそろ見切りをつけて、まだまだ20~30年続く自分の将来像について考えてみませんか。

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お勉強はもう苦痛ではないですか? -慢性期医療へのお誘い- (その3)

 スキルアップのために出身母教室に一定期間戻って、医局員と同じ生活をする。これが私の考えた方法でした。骨子はこうです。一年に一か月間、二年おきなら二か月間、出身教室にスキルアップのために戻って勉強できる権利を医長、部長の先生に与える。その期間は大学で医局員と同じく、朝から抄読会、回診、手術や検査をこなし、教室も臨時戦力としてその医師を当てにする。その間、新しい術式や知識を夜遅くまで一医局員として研鑽する。給与は派遣病院が支払い、その期間は派遣先の同僚が派遣病院の入院患者をカバーする。母教室に戻った先生は医局員と同じようにアルバイト日を有するが、その日は派遣病院で自分の外来患者を診察する。

 派遣病院にとっては一定期間入院主治医が薄くなりますが、新たに得たスキルでの新患増加及び大学からの紹介の増加によるメリットは大きいと思われます。若手医師との情報共有、学会への参加は医師の“現役年齢”の延長に役立つはずです。派遣病院は医師のスキルアップがあればその地域でのイニシアチィブを維持できるので、集客力が増します。大学医局にとっても一年で12人の経験を積んだ医師を迎え入れ、12の出張病院に感謝されます。加えて、診療スキルの低下で将来が見えず開業してしまう恐れのある教室医師を繋ぎ止めることができます。

 私は、実際にわたし共の病院に多数の医師を派遣して頂いている教授に、派遣の先生方の了解を取った上で、この話の説明に上がりましたが、残念ながら教授は理解していただけませんでした。もう10年ほど前のことですが、大学での教育は学生と研修医、そして若い医局員が対象で、長期出張医師やOBは眼中にないかのようなお答えでした。私は専門領域の複線型能力貯蓄の場つまり再教育はよそいきではなく自然に学べる出身医局がベストと考え、数年前にも別の教授にお願いに参りましたが、やはり良い返事は頂けませんでした。

 他にも、短期集中講座などスキルアップの方法はあろうかと考えますが、どこかでどなたかの手でこの方法が日の目を見ないかなと期待してこのブログに載せます。

お勉強はもう苦痛ではないですか? -慢性期医療へのお誘い- (その2)

現代社会研究所所長の古田隆彦先生によれば、現在65歳以上を高齢者と呼んでいるのは1960年代に国連勧告を受けてそう定義したのだそうです。当時の平均年齢は約70歳、現在は80歳をはるかに超えていますので、75歳以上を高齢者と呼ぶべきであると提唱されています。そうすると現役として働く期間は50年にも及びます。その50年を乗り切るために複線型の教育、つまり一定期間新たなスキルを身につける能力貯蓄の機会が必要になると述べておられます。
  医師も同じです。多くの病院は60歳や65歳が定年ですが、現在の60歳はまだまだ働き盛りで、70歳やそれ以上まで働きたいと思われておられる方が過半数だと思います。そうすると40~50年間通用する技術が欠かせません。私自身や周りの先生方をその眼で観察した経験でいえば、大学や研修医療機関で一定期間勉強して積み上げてきたスキルはその補てんがなければその同じ年数しか本当の意味では役に立ちません。能力貯蓄の機会がないまま派遣病院で忙しさにかまけていると、やがて学会に足が遠くなって参ります。そのうちに学会では、詳しくない得意でない分野が多くなり、そしてその道の専門家が主流派を形成するようになると、学会はさらにつまらなくなり、専門医であり得意分野であるはずの領域に、ぽっかりと穴があいてしまいます。独学ではそれを埋める意欲は次第に低下し、大学の現役医師と意思疎通がうまくいかなくなって参ります。どうしたらいいのでしょうか。

お勉強はもう苦痛ではないですか? -慢性期医療へのお誘い- (その1)

 私は九州大学第二内科(現九州大学大学院病態機能内科学)入局後、消化器研究室に入り、専門医としての研鑽を積んで参りました。厳しい先輩方のご指導のお陰でかなり早期の癌を診断できるようになった頃、もう20年前のお話ですが、ある基幹病院へ赴任してすぐのころ、ショッキングな経験を致しました。外科に紹介した直腸早期癌の患者さんの術後報告書を見たときです。なんと直腸切断・人工肛門造設術が施行してありました。その患者さんの癌腫の肛門側は肛門輪から約5cmの距離があり、ぎりぎり肛門を温存する術式が期待できるとご本人に説明していたからです。しかも、旧式の人工肛門が造ってあり、患者さんの気持ちを想うと暗澹たる気持ちになりました。
 その後職員に聞いた話によると、その病院の3人の外科部長の先生方には最新の手術術式は期待できず、QOLの低い旧式の術式しかご存じなかったのです。皆さん50歳代の前半なのに、肩書とは裏腹に陽のあたるお仕事はされていませんでした。聞けば、一昔前は威勢のいいバリバリの外科医だったとのこと。
 20年という時が経過した今も、同じような光景がみられるのではないでしょうか。ましてや、今だに年功序列の自治体病院では、仕事量に見合わない給与差に若手の医師の不満も大きいのではないでしょうか。どうしてこういうことが起こるのでしょうか。
 答えはひとつの技術で一生食べていける時代ではなくなったのだと思います。3人の外科部長さんの場合では、新しい技術の研鑽を40歳代になさっていればバリバリの現役外科医で過ごせたのではないでしょうか。責任はそれをせずに放置した病院とご本人双方にあると思います

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説明支援ナース登場の訳~その6~

 DPCが始まって、入院期間はさらに短くなりました。現在も一部には疾患定額制の導入もあり、日本版DRGの登場も時間の問題と思われます。患者さんにとって大きな問題である入院も、短い期間では患者さんと医療者とのコミュニケーションも淡白なもので終わりがちです。加えて、生活習慣病など繰り返しの入院が必要な疾患は増える一方です。一人の患者さんを、外来から病棟まで一貫して看て護る人間が必要なことは明らかです。看護師を外来、病棟と縦割りにしているのは病院の組織上の都合に原因があるわけで、決して患者さんの立場を考えてのものではありません。その分野のプロである説明支援ナースには外来で自ら説明し、理解を得た患者さんが、実際にどのような入院生活を送るのかを是非見ていただきたい。入院初日に顔を見せたら入院が初めてで不安な患者さんの気持ちもきっと落ち着くことでしょう。手術の前日も外来で与えた安心のおさらいをすることで患者さんは勇気づけられることでしょう。手術当日、翌日と患者さんがどのような状態で一日を過ごされているのか、自分が説明した内容とどう違うのか、いつ頃からどのように回復されて退院に近づいて行かれるのか、説明支援ナースにとって毎日が勉強になるはずです。毎日、短時間の訪室で構いません。病名は同じでも、患者さん一人ひとり異なる回復の様子、これを多数例経験することで外来での説明にも幅が出てくるものと考えます。きっと素晴らしいクリティカル・パスの立案者になってくれることでしょう。退院が近くなったら、次の外来受診のお約束をします。一貫して看て護る人にだけ、話してくれる入院生活で感じたこと、病院が改善すべきこと。ここに宝が隠されていることを病院管理者は知るべきです。医師は多忙で目前の患者さんへの対応で手いっぱいです。

 医師はオールマイティですべての分野に真面目にかつ精力的にかかわってきた、これが日本の病院の姿だと思います。しかし、医師不足で医療崩壊(本当は病院崩壊)が叫ばれる昨今、看護師の力を信じ、権限を与え、任せることが解決策の一つだと考えています。形だけ、看護師の副院長を作って満足している病院には未来はありません。 われわれ独自の法人内認定制度の一つ、説明支援ナースの誕生のいきさつを書いて参りました。この試みはまだ新しく、未完成です。数多くの方々からご意見を頂戴できれば幸いです。

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