最近の日本、何かおかしくないですか?(その3、やれるじゃないか日本)

とはいえ、まずは最近嬉しかった話から。
平成22年6月30日未明、日本は感動の渦の中にありました。サッカー・ワールドカップ南アフリカ大会で16強に勝ち進んだ日本はパラグアイとの120分の激闘の末に敗れはしましたが、仲間同士の強い絆とあきらめずに突き進む勇気を国民に熱く示してくれました。深夜にも関わらずテレビ視聴率は瞬間的に63%を超えました。同夜のNHKニュースウォッチ9で控えのゴールキーパー川口選手は「みんな試合に出たい。それを我慢してサブに徹する。犠牲心です。」と答えていました。PKを外してうなだれる駒野選手の手を取り仲間の列に加える「仲間を思いやる心」、体力的には敵わなくても身体を寄せて身を挺した守備、高まった一体感、田中マルクス闘莉王選手は「日本人になってよかった」と話していました。深夜、テレビに熱狂していた若者からは「愛国心を感じる」とありました。新聞によると、南アフリカの高地での試合に備え、高所トレーニング専門家の大学准教授が高地順化を進め、走れる体を作ったそうです。また、フィジカルトレーナーからの指導で、4試合の選手の走行距離は16強中2位、戦列離脱者はゼロと驚異の仕上がりだったそうです。サブの選手やスタッフ全員を加えて円陣を組む光景は、4年前のドイツ大会では1勝もできず、今回も前評判の低かったチームの進化を示していました。日本サッカー協会・川渕名誉会長が「(負けたのは)残念だが、だれも非難しないだろうというくらいの健闘ぶりだった」とコメントしていましたが、「一生懸命さ」、「がむしゃらさ」、「どろくささ」、「仲間を思う心」「肩を組んで君が代を斉唱する姿」に感動し勇気をもらった国民であることは紛れもない事実なのです。

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最近の日本、何かおかしくないですか?(その2、藤原先生登場)

 日本が、今、岐路に立たされています。何かがおかしい。ベストセラー「国家の品格」をお書きになった藤原正彦先生が、文芸春秋7月号に書いておられる「日本国民に告ぐ」から抜粋させていただきます。
・経済ではバブル崩壊後20年近くになるが、この間行われた様々な改革がどれもうまくいかない。デフレ不況を脱せず、財政赤字は世界一となり、なお増大している。失業率は増え続け、世界トップクラスの自殺大国となっている。
・政治を正すためには良い政治家が必要となるが、大量の小泉チルドレンに続いて、さらに大量の小沢チルドレンと選挙の半年前までは国政など考えたこともないような素人が登場し、質は低下するばかり、今後どんな政界再編があろうと、質の劣化した政治家たちの区分けが変わるだけのことであり、質の向上にはつながらない。濁った水はどう分けても濁ったままである。
・深刻なのはモラルの低下である。子殺し親殺し、「誰でもよかったが殺したかった」という無差別殺人など、かつてはありえなかった犯罪が頻りに報道されるようになった。子供たちのモラルも一斉に崩れ、学級崩壊、陰湿ないじめによる子供の自殺が普通になった。数世紀にわたって恐らく世界一だった子供たちの学力は、十年ほど前に首位を滑り落ち、その後も落ち続けている。不満が少しでもあれば大げさに騒ぎ立て訴訟にまで持ち込む人々が多くなった。人権をはじめとしてやたらと権利を振りかざす人間が多くなった。かつてこういう人間は「さもしい」と言われたものだが。
 まさにいいえて妙。何を間違えてこのような日本になってしまったのか。このブログで私は前々回まで医療の様々な側面について書いて参りました。医療・介護を含む社会保障費を確保するためには、その国の政治、経済は勿論のこと、国民の意識・判断に負うところが大きいと思います。医療に絡むことも、無関係なことも「何かおかしくない?」と思われることを思いつくままに挙げてみます。一緒に考えてみませんか。お付き合いください。

最近の日本、何かおかしくないですか?(その1、プロローグ)

「消費税を社会保障財源にすることについて議論を開始しよう」と選挙の争点のひとつに挙げた与党民主党が大敗しました。「10か月前まで消費税は上げないと言っておきながら何だ」「あまりにも唐突だ」という声に政権がぐらついています。振り返ってみると消費税率3%の導入時、そして5%への増税時、その度に内閣は崩壊して参りました。自民党のみならず民主党も与党政権党としてこの大型間接税率のアップには総選挙での大敗、衆参ねじれ現象を覚悟しなければならない状況です。
本当に消費税は一部の政党が声高に叫ぶほど低所得者の生活を破壊するものなのでしょうか?わが国の消費税は現行5%とヨーロッパの国々だけではなく諸外国と比べて低い税率です。高負担・高福祉の典型であるスウェーデンやデンマークのそれは25%と比較にならないほど高率ですが、そこでは所得の低い層の生活は本当に破壊されているのでしょうか?
日本は社会保障分野において低い社会保障給付が続いて参りました。税と社会保障負担が低ければ、それだけ給付も低く制限され、医療や介護を必要とするとき高い利用者負担を余儀なくされます。医療は今後とてつもない速さで進歩し、遺伝子治療、オーダーメイド医療の時代を迎えることでしょう。底抜け現象で格差が拡大した現在、支払い能力の差で選択に格差が出てきて良いのでしょうか。
北欧ではほとんどの国の大学の授業料は一部を除いて無料だと聞きました。消費税など皆で広く薄く負担するのか、授業料という形で利用する学生(を持つ親)が負担するのか、二つに一つです。「進学できないのは格差のせい」というのなら、食糧など生活必需品の税率を調整して中負担への議論に参加するべきではないでしょうか。
議会制民主主義が始まって百数十年、もういい加減に、無責任な政党の誘導に流されず、国民目線できちんとした議論が出来るような成熟社会にする国家年齢にさしかかっているのではないでしょうか。