天災それとも人災?その4

1号機のベントに踏み切ったのが地震発生後15時間経過した3月12日午前10:17、その5時間後、1号機は水素爆発、ベント実施が遅すぎたのです。この後、相次ぐ原子炉建屋などの水素爆発は保安院が全く想定していなかった出来事でした。3月14日午前11:00には3号機建屋爆発、3月15日午前6:10には2号機で大きな爆発音、同じく3月15日午前9:38には4号機核燃料貯蔵プールから出火しました。まるでもぐらたたきゲームのように起こる危機。「保安院や東電は明らかに判断能力を失いつつある」。「説明が二転三転している」。高い放射線濃度の中で、炉の冷却のために命を張っている自衛隊員を指揮する防衛相や同省幹部を含め、政府内の保安院や東電への不信感はピークに達しました。
 ではこの不信感は何処からどうして生まれてきたのでしょう。
2.官邸機能せず「何かあったら、お前らのせい。」(一部産經新聞より)
東工大応用物理学科卒で「ものすごく原子力に強い」と自負する管総理はさっそく執務室にホワイトボードを持ち込み炉心溶解の可能性を保安院に指摘され、炉内の蒸気を排出するベントを急げと指示を出しました。しかし、トップ不在の東電の反応は鈍く、首相はしびれを切らし地震発生翌日の午前6:14陸上自衛隊のヘリにて視察を強行しました。武藤栄東電副社長にベントを急ぐよう詰め寄り、秘書官に当たり散らし、保安院幹部らの説明にも、「お前たちは現場を見ていないだろ」と納得せず、面識もない官僚に突然電話で指示をだし、「何かあったら、お前らのせいだぞ。」と責任をなすりつけたそうです。

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天災それとも人災?その3

2001年2月10日、ハワイ沖で日本の高校生の練習船「えひめ丸」が、アメリカ海軍の原子力潜水艦と衝突して沈没、日本人9名が死亡するという「えひめ丸事件」が発生しました。当時の森喜朗総理は第一報が入ったときゴルフ場におり、衝突により日本人が多数海に投げ込まれたことや、相手がアメリカ軍であることも判明していましたが、総理は第2報の後第3報が入るまで1時間半の間プレーを続け、これが危機管理意識上問題とされました。この事件の報道で森総理のゴルフプレイ姿が繰り返し放送されたため国民には悪印象が増幅し、マスコミにこのことを問いただされた総理が「プライベートだ」と答えたことで批判は拡大しました。事故を起こしたアメリカ側はブッシュ大統領が「事故の責任は全てアメリカにある」と謝罪しましたが、マスコミはこれを異例の素早い対応と評価、日本の事故処理の印象を一層悪いものとしました。
 その後も国家の危機管理に関して日本のリーダーには素早い危機対応能力を見せていただけた方は数少ないと思われます。これらの教訓から危機に瀕したリーダーに求められる初動は「我ここにあり」と自分の存在場所を内外に示し、そこに情報を集約することだと思われます。次にすべきことは送られてくる膨大な情報を冷静かつ客観的に整理・選択して、とるべき対応策のいくつかを提案できるブレーンを集め機能させることだと思われます。    
 この点に関して、現在批判されている管政権の初動に関しては大きな問題はなかったように思われますが、問題は次のブレーンの作り方にあったように思います。これに関しては後日詳しく述べますので、東電福島第1原発 一か月の動きに話を戻しましょう。