天災それとも人災?(その20)

8月9日未明、再び広島のときとまったく同じあのコールサインV675で呼ばれるB-29がテニアン島から発進したことがキャッチされました。どこだかわからないけれど数時間後には日本国内のどこかに落とされる危険が大きいと判断されました。この重大情報は陸軍参謀本部梅津美治郎参謀総長にも報告されました。長崎への原爆投下の5時間も前に、原爆搭載機が日本に向かっていることが参謀本部中枢まで報告されていたのです。緊張は高まっていました。
硫黄島上空を経て、午前7時45分に屋久島上空の合流地点に達し、計測機とは会合できましたが、写真撮影機とは合流できず、40分が経過したため、スウィーニーはやむなく2機編隊で作戦を続行することにしました。午前9時40分、大分県姫島方面から小倉市の投下目標上空へ爆撃航程を開始し、9時44分投下目標である小倉陸軍造兵廠上空へ到達。しかし、計3回の投下目標確認に失敗し、この間約45分間の時間と燃料を使ってしまいました。残燃料に余裕がなくなったばかりか、「ボックスカー」は燃料系統に異常が発生したので予備燃料に切り替えました。その間に天候が悪化、日本軍高射砲からの対空攻撃が激しくなり、また、陸軍芦屋基地から飛行第59戦隊の五式戦闘機、海軍築城基地から第203航空隊の零式艦上戦闘機(零戦)10機が緊急発進してきたことも確認されたので、目標を小倉市から第二目標である長崎市に変更し、午前10時30分頃、小倉市上空を離脱しました。