「日本海軍はなぜ過ったか 海軍反省会四百時間の証言より」が教えてくれること(その22 責任の所在)

私はこの海軍反省会からは、歴史というものは、たとえば明治時代が終わったら明治が終わるというものではなくて、生きている人間がずーっとつながっているものなのだ、ということを感じさせられましたね。昭和10年代には海軍の中堅幹部だった人が、昭和50年代に体験を語っているという事実が、歴史というものは本当に、過去完了ではなくてずっと今もつながっている、これからもずっとつながっていくものだ、ということをその内容とは別に、反省会の存在について感じました(戸高一成氏)。(中略) およそ組織と名のつくところは、どんなことでも何か大きな失敗があったというときには、これは大事なことだから、将来に教訓として伝えるためにしっかりと、どこにどういう原因があったかを明らかにいて残しておこうと、必ず討議をします。しかしながら実際には、一回たりとも残すということをやったことはないです。私が勤めていた出版社もしかり。他の組織に聞いてもおよそ、失敗についてきちっと反省をして、文書に残してこれはこういうところが間違っていたと後の人たちのために伝える、ということをしていませんね。日本の組織は、これは不思議なくらい、しませんね。勝利体験というものは、みんなして誇って、それを伝えますけれど、失敗体験というものは、これは隠します。責任者が出るということを嫌うんですね(半藤一利氏)。