印南一路氏の「社会的入院の研究」を読みました。社会的入院を生じる一因が我が国の低密度医療にあるとする氏の指摘に共感いたしました。一部を紹介いたします。
一人暮らしの健常高齢女性が、自宅の庭で転んで大腿骨頚部骨折を起こし整形外科の病院に救急搬入された。一週間後の手術は成功したが、ひと月安静入院を続けていたら筋力の低下が起こり、老女は一人で歩けず身の回りのことができなくなった。家族は止む無く介護保険の申請をし、それが下りるまでさらにひと月間入院の継続を願い出た。しかし、入院期間中に褥瘡ができ、認知症も併発したため、近くの療養型病院に転院した。同院ではリハビリも行うことになっているという説明を受けていたので、入院をしていれば回復するかもしれないと家族は期待をしていたが、寝たきりで認知症は悪化し、「胃ろう」による経管栄養を行っているため介護施設は引き受けてくれない。療養型病院に入院して早三年になる。
対して、米国での同様のケースでは、
救急搬入後、翌日手術が施行され、2日目からは鎮痛剤を使用しながら、痛みに耐えリハビリを開始した。五日目には杖をついてなんとか自宅に退院。ボランティアにリハビリセンターへの通所をサポートしてもらい、必死でリハビリを行った。たった五日間の入院でも入院費は高くついたが、早期リハビリのおかげで全身の筋力の低下は最小限に抑えられ、二か月後には通常の家庭生活に戻った。
と、日米のよくあるパターンを紹介し、
高齢者を病院に入院させることは高齢者に優しいことか?保険料を払っているのだから、いたいだけ病院にいる権利があるか?と問いかけ、本当の権利は高齢者本人がその人らしく生きること、高齢者は、急性期に特化した病院で高密度の治療を受け、最短の入院期間で退院し、速やかにリハビリを開始すべきである、としています。さらに、人生の最後が台無しになった責任は誰が取るのか、と疑問を投げかけておられます。
お勉強はもう苦痛ではないですか? -慢性期医療へのお誘い- (その8)
今、療養病床に変革の波が押し寄せています。ご承知の通り、2011年度末には介護療養病棟の廃止が決定しています。医療療養病棟も2006年の改定から医療・ADL区分別の支払い方式が採用され、次第に病床数を減らしています。仮に政権が代わったとしても、民主党医療制度改革大綱によれば療養病床の30%に当たる11万床、一般病床は26万床もの削減が計画されています。
8月30日に投票日を迎える総選挙に向けて、各政党はマニフェストを出していますが、どれを見てもばらまき合戦の様相です。バラ色の給付と引き換えにだれがどう負担するのか、負担増の話には触れず、財源をどうするかはあいまいにしておいた方が選挙戦に有利だとの判断で、選挙戦になだれ込むようです。財政構造改革路線からはるかにかけ離れた政権運営がなされ、国(国民)の借金はさらに膨れ上がります。しかし、選挙が終わると現実的な問題として経済の低迷による税収不足から、歳出削減を求める声が高まってくるでしょう。われわれ医療や介護の業界は経済不況の数年後からその影響を受けると一般的に言われております。2年半後の2012年の医療と介護の同時改定はわれわれにとってさぞや厳しいものとなるでしょう。小泉構造改革路線は聖域なき行財政改革を進め、医療崩壊の原因を作ったと酷評されておりますが、その狙いは団塊の世代が高齢者の仲間入りを始める2012年までに、社会保障の伸びによる財政負担を将来に付け回さない仕組みを作ろうというものでした。現在の出生数の倍以上の2百数10万人が毎年毎年高齢者の仲間入りを始めます。年金を含めて国民への負担は増し、それによる医療・介護の単価の抑制は不可避です。2012年度は医療・介護業界厳冬時代の幕開けなのです。