下の図をご参照ください。
ある村に100人の住民がおり、うち5人が高齢者でした。この5人のために残る95人が一人一単位の額を拠出しました。すると高齢者は一人当たり95/5=19単位の可処分資本を頂けました。これが1950年頃の日本でした。2005年になりますと、高齢者は20人、生産者は80人です。拠出が一人一単位では足りそうもないので、3倍の3単位をお願いしました。それでも集まったのは240単位でそれを20人の高齢者で分けるとたったの12単位になりました。半世紀前に比べ税金(拠出額)は3倍になったのに、高齢者の自由になる資本は2/3になりました。さらに、25年経ちますと、高齢者は30人(高齢化率30%)、残りは70人で、一人5単位拠出しても高齢者の取り分はさらに目減りします。さらに25年後、これが日本の高齢化のピークですが、40人(高齢化率40%)、60人で一人7単位を集めても、またまた目減りしてしまいます。
2005年の時点に立って考えてみますと、この先半世紀で高齢者は倍になり、支え手は3/4に減る。高齢者のための拠出金は倍以上になるのに、可処分額は目減りしてしまう。そんな恐ろしい時代をわれわれは生きていかなければなりません。
ましてや、経済不況と格差社会の中で、年収が上位の人の割合は変わらないのに、中の下から下位の人たちの年収が底抜け状態になって、雇用保険や生活保護の申請をする方が激増している現在、倍以上の拠出金をすべての生産者に求めることは不可能です。
この超高齢化社会のなかで日本が皆保険制度をどう守るか、介護保険の設計をどうするか、世界の国々が注目しています。高齢化は先進国共通の悩みですが、その先頭を行く日本がお手本なのです。OECD諸国と比較して、対GDP比の医療費が低いから日本の医療崩壊が起こっているといった声が聞こえて参りますが、人口が500~1000万人と日本の1/20前後と少なく、高齢化率もまだ低い北欧諸国と比較して日本の低医療費を訴えて何かいい知恵が生まれてくるものでしょうか。