最近、新聞の社会面を見るのが辛くなってきました。悲惨なニュースが毎日報道されています。昭和の時代にはあまり目立たなかった特徴は子供に絡む犯罪の激増です。小学生同士が殺しあったり、親が育児を放棄・遺棄して死亡させたり、あるいは親を凶器で撲殺したり、「誰でもよかった」と行きずりの通行人を襲ったりと、1件、1件、背景は違っても、根源となっているのは、教育や躾の質の低下にあるのではないかと思います。
安倍晋三元首相のもとでようやく教育基本法の改正が行われましたが、「教」え、「育」くむという家庭としても、国としてもとても大切な行為にあまりにも間違いが多いのではないかと考えています。まずは私自身日頃思っていることから紹介しましょう。
子供は小学校に入ると、交通規則を習います。横断歩道では、右手を挙げて、右みて、左見て、も1度右を確認してわたりましょうと教わります。そして新学期には街の交叉点にはお父さん、お母さんが立って、黄色いランドセルカバーと付けた子供達の安全を守ります。ほほえましい風景です。しかし、よく見ると実際の横断歩道では、子供は、黄色い交通安全の旗を振りかざし、交通を遮断している大人達の顔をまっすぐに見つめて横断しています。手を挙げて、左右を確認している子供はほとんどいません。「子供を守ってやっている」という正義感からか、親はひっきりなしに交通を止め、子供は交叉点で待つことを教えられません。
本来は、子供が手を挙げ、左右を確認し、タイミングを計りながら安全に横断するのを教え、できていない子には厳しく躾ける役を大人は担っているはずです。こうして、子供達は交通ルールを学ぶ機会を奪われます。ご老人を自転車で撥ね、傲慢なふるまいをする若者の姿が報道され、大人達は「若者が交通ルールを守らない」と嘆きますが、その一因は親自身の勘違いにあるのかもしれません。子供が学び取る機会を大人が奪っていると思うのです。