最近の日本、何かおかしくないですか?(その9、「自由保育」の好き勝手)

ジャーナリストの櫻井よしこさんは保育園でまかり通る「自由保育」の好き勝手と題して以下のように指摘しています。
いま公立の保育園では自由保育の旗を掲げています。大変耳に心地よい言葉です。これは子供が善なる存在で、前向きであるという性善説に基づいていると思います。自由にしておくのが一番いい。叱ったりする事はよくない。親がいろいろなことを押し付けるのもよくない。子供を自由にするのが一番だという考え方です。しかし、実際の保育園でみる光景はまるで保育園が老人ホームになったようです。自分のすきな相手とだけ集まってこもごもお話をしています。以前のように団体でお遊戯をしたり、歌を歌ったり、かけっこをしたりということをなかなかさせることができません。ですから子供は自分と気のあった人とだけしか遊ばないし、話さないのです。しかし、これは人生で初めて、今まで見たこともない他人と時間と空間を共有するという社会的な訓練にはまるで役に立ちません。気の合わない子供と何とか折り合いをつけることを学ぶ機会を奪っていることになります。」と自由保育の自由という耳に心地よい言葉に潜む恐ろしさを指摘しています。

最近の日本、何かおかしくないですか?(その8 アタッチメント)

では、子供の教育過程の中でどのような誤りがあったのでしょう。日常あまり気にもとめていないことですが、実に多くの誤解や問題点があるのです。わたくしが調べ得た範囲でご紹介をしてみたいと思います。
先日紹介致しました田下先生は小学生暴力をアタッチメントの観点からとらえておられます。要約してご紹介します。
鳥類以上のすべての動物の仔は自分に危機が迫ったとき、誰が守ってくれるのか、誰の元へ逃げていけばいいのかを分っている。親もどの個体を保護するのかを識別している。保護し保護される相手が確定すると、仔に本能として内在している愛着行動のシステムを起動する。その概念をアタッチメントという。カルガモのひなが母ガモの後を追うのがそれである。この過程は基本的には人間も動物と同じである。2歳半から3歳でその基礎が形成されるが、人間ではアタッチメントは生涯にわたって存在し、その対象も両親から友人、教師、異性へと広がっていく。アタッチメントは人を信じることや、愛する事の基調となる。親の都合によってすぐ変わる、本気でない養育姿勢はアタッチメント形成不全を発生させる。結果、子供は誰が自分を保護してくれる人なのか判定に確信が持てず、人間関係は浅薄で、その場限りになりやすい。必要なアタッチメントが形成されないと、その相手は子供の攻撃対象となる。小学生暴力の根源はここにある。」 と書いて親の都合によってすぐに変わる、本気でない養育姿勢を小学生暴力の根源と強調されておられます。