天災それとも人災?その9

日本が復興に向けて「一つになろうニッポン」と努力しているとき、最大の障害になるのが菅首相であると指摘せざるを得ないのは日本の不幸であります。最大の問題は、オールジャパンの態勢を組めないことです。官僚組織を束ね、その能力をフル活用せねばならない最高指揮官であるにもかかわらず、官僚機構への不信感が先立つためか使いこなせていないようです。首相の私的な勉強会といった政治主導組織が増殖し、肥大化していては先行きが危ぶまれます。まさに、人災と呼べるのではないでしょうか。国家は組織で成り立っています。管首相が震災後作ったのは図ばかり、知り合いの教授や友人に命令を下しても権限がない人に何も動かせません。対応は後手後手に回るばかりでした。国家という組織を持ちながら、官僚という素晴らしい頭脳集団を持ちながら使いこなすことができない、そんな首相を選んだのは残念ながらわれわれ国民なのです。大連立を提案する政府民主党に対し、中曽根康弘元首相は讀賣新聞に寄せた「新しい東北 世界へ示せ」というコラムの中で、大連立は政府・与党がどの程度真剣に心情を野党に吐露し、国家国民のために己をむなしくして協力を求めるかにかかっている。政権維持のためといった考えはかりそめにも持ってはならないと述べています。

天災それとも人災(その8)

4. 危機からの再出発(一部讀賣・日経5月上旬の紙面から)
自民党政権時の2009年6月経済産業省で開かれたある調査会で産業技術総合研究所の活断層・地震研究センター長は「869年の貞観地震で想定とは比べものにならない巨大な津波が来ている」と福島第一原子力発電所の危険性を繰り返し指摘していました。東電の担当者の答えは「研究的な課題としてとらえるべきだ」と素っ気ない返事だったそうです。それから2年足らず、福島第一原発事故の原因を東電は「想定外」としましたが、「想定」は間違いなくあったわけで、ただ直視してこなかっただけでした。
 失敗学で有名な東大名誉教授の畑村洋太郎先生によると、「見たくないものは見ない。考えたくないことは考えない。米国は考えようと努力する国。日本は考えないままにしておく国」だそうです。最悪を考えない危機対策には限界があります。「福島原発が全電源を失ったらどうなるか」、昨年11月東電は福島県でそんな想定の避難訓練を実際にしているのですが、シナリオは数時間後には非常用電源が回復するというものでした。最悪のことはあえて考えない訓練は何の役にも立たなかったと住民から声が漏れたそうです。
 米国は2001年9月11日の同時多発テロの経験を踏まえ、国内104基の原発に何重もの緊急時外部電源を配備する対策を進めてきたそうです。日本は最悪のことを考えず、ただ放置していた。その大きな差はなかなか埋まらないようです。
 米国のオバマ大統領は4月末におきた竜巻の被害に対しアラバマ州など南部3州の知事の要請を受け、大規模災害宣言を出しました。宣言により医療費やがれきの片付けなどへの連邦予算の予備費の支出が自動的に認められるそうです。事態が悪化すれば知事は州軍による戒厳令を敷くことも可能になります。戒厳令下では私権は停止され、住民の強制排除、建物の事前許諾なしの取り壊しなどが出来るそうです。
 戦争や内乱でなく、大規模な自然災害を「国家の非常事態」として、政府の強い権限行使を包括的に認めている国は少なくないそうです。しかし、わが国にはこういう想定がなく、結果的に福島第一原発の半径20km圏内の避難指示、20~30km圏内の屋内退避指示とその後の自主避難要請、20km圏外での計画的避難区域と緊急時避難準備区域の指定と理解するのも困難なあいまいな“お願い”を連発しました。そして警戒区域内への一時帰宅時の不満と混乱と不満ばかりが報道される結果となりました。有事に対する備えや決まり事を先送りにしてきた罰だと思われてなりません。

天災それとも人災?その7

2010年9月7日、尖閣諸島周辺で日本の海上保安庁の巡視船「みずき」が、中国籍の不審船を発見し日本領海からの退去を命じるも、それを無視して漁船は違法操業を続行、逃走時に巡視船「よなくに」と「みずき」に衝突し2隻を破損させました。海上保安庁は漁船の船長を公務執行妨害で逮捕しました。中国政府は「尖閣諸島は中国固有の領土」と主張し、船長・船員の即時釈放を要求しました。前原外相(当時)は「こちらにはビデオもある」、「尖閣諸島には領土問題は存在しない。国内法に基づいて粛々と進める」と中国に対しても臆さずという姿勢を示しました。しかし、中国国内では半日民間団体が早速日本批判や抗議活動を展開、中国政府も複数の極端な報復活動を繰り返しました。ついにはレアアースの対日輸出を禁止したばかりか、9月21日中国本土にいたフジタの社員4人を「許可なく軍事管理区域を撮影した」として身柄を拘束しました。これらの中国政府の措置を受けて、9月24日「国内法で粛々と判断する」と発言していた菅直人首相と前原誠司外相が国際連合総会出席で不在の中、那覇地方検察庁が拘留期限が5日残っている時点で、「わが国国民への影響や、今後の日中関係を考慮して、船長を処分保留で釈放する」と発表、翌25日未明、中国のチャーター機で本国へ送還されました。中国帰国時、英雄扱いされた報道は記憶に新しいところです。
 これに対して、与党からも「外交なんて全くの門外漢。恫喝され、慌てふためいて釈放しただけ」、「検察に政治的判断をさせるのはどうか」、「政治主導と言うなら政治家が責任を持って最後は判断しないと駄目だ」、「事実上の指揮権発動だ」という声が沸き起こりました。野党からは、「極めて愚かな判断だ。中国の圧力に政府が屈した」、「政府は弱腰外交との批判を恐れて、検察に責任を押し付けようとしている」、「明白な外交的敗北だ。菅内閣の弱腰外交を糾弾しなくければならない」などの批判の声が噴出しました。
 しかし、ちょっと待ってください。一体全体尖閣諸島で何が起こったのか。肝心の国民は正確には知らされていませんでした。6分50秒に編集されたビデオは事件から2か月近い11月1日、衆議院予算委員会の理事ら30人のみに開示されました。世論でも映像を公開する声が高まっていたため、野党自民党は映像を国民へ全面公開することを求めましたが、政府と与党はこれを拒否しました。事件最初期の段階において、菅首相、仙石官房長官(当時)、前原外相の3閣僚はビデオを閲覧していたといいますが、一体全体この国はいったい誰が肝心な事柄を話し合い、誰が責任を持って決めるのか、全く理解できません。法務省が国益を考えて政治判断をするという、摩訶不思議な国は日本だけではないのでしょうか。

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