ところが、7月の20日から、400番台でも、500番台でも、700番台でもない、600番台の新しい航空隊がちょくちょく日本に来ると。「おや、おかしいな?」と思った人がいて、これを丁寧に追っかけていったのだそうです。そしたら、その飛行機の番号がほかの飛行機とは違う。ほかのB29は25V、425Vとか二桁三桁なのに、この新顔は一ケタの2V625とか、5V655、8V632というようなコールサインで飛んでくる。しかも、一機で飛んでくる—–何か新しい部隊が出てきたのだろうか、と思っていたようです。陸軍参謀本部情報部第二部の堀栄三少佐は600番台の正体不明機を特殊任務機と呼び、その情報は参謀本部の上層部まで伝えられていました。
陸軍参謀本部は米国が原爆開発を推し進めていることを早くから知っていました。そして、昭和18年春、東条英機陸軍大臣は米国の原爆開発は相当進んでいると判断し、日本も後れを取らないようにと理化学研究所の仁科芳雄博士らの研究陣に開発を急がせています。しかし、昭和20年6月末には空襲で原爆の開発を続行する環境ではなくなったため、陸軍上層部は、その開発を断念しました。そして、原子爆弾開発に関し「米国も為し得ざるものと判明せり」と全く根拠もなく決めつけていました。大きなプロジェクトを止めるに当たり、そしてそれが日本にとって危機的な状態をもたらせることが明白なため、止める理由付けが必要になっただけのことでした。起こっては困ることが起こると、決まって日本の指導者は起こらないものと決め付ける習性があるのはこの一件でも明らかです。