天災それとも人災?(その23)読売新聞2011.12/27、2012.3/1の記事より

大村の戦闘機部隊のパイロット本田稔さんが、「こんなことを許していたらまたこのようなことが起こるのではないですかね」と嘆かれた通りのことが、昨年3月に起こってしまいました。2011.12月27日の読売新聞はトップニュースとして、東京電力福島第一原子力発電所事故に関する政府の事故調査・検証委員会の中間報告を発表したと載せています。それによりますと、中間報告は東京電力や政府の事故対応の不手際を明確に指摘し、原発事故の「人災」としての側面を浮かび上がらせています。政府の危機管理全般の問題点には踏み込み不足で、今年夏の最終報告に向け、当時の管首相らの聴取による検証が課題となるとしています。政治家のヒアリングについては、時間の経過とともに記憶が薄らぐことは避けられないし、政治家1人当たりのヒアリング回数は最小限に止める予定とすれば、またまたあの方のイラついた顔が画像に出てくるだけで、何の本質的な解決にもならないと考えるのは私だけでしょうか。
2012.3月1日の新聞には内閣府公文書管理委員会が東日本大震災に関する10組織の会議で議事録が未作成だった問題について、「震災で多忙だった」、「作成義務は課せられていない」という理由を挙げ、記録作成への意識の低さが改めて浮き彫りになったと伝えています。
半藤一利先生が指摘する歴史に何も学ばなかった日本人、失敗学で有名な東大名誉教授の畑村洋太郎先生が指摘する見たくないものは見ない、考えたくないことは考えない日本人、記録が詳細な近代だけを見ても、我々日本人の大きな失敗をするパターンはおおよそ似ています。日本人の遺伝子が大きくは変化しないのであるならば、歴史に学び、数々の失敗に学ぶ、これこそがこれからのリーダーに欠かせない資質であると思います。私も職員約2800名のトップとして常に心がけて参りたいと考えます。 (天災それとも人災?完)