管轄の文部科学省からは「もうあきらめろ」、「宇宙の迷子が発見された例はない」の声。
しかし、スタッフはあきらめませんでした。2006年1月23日パルスが届き、以後1ビット通信により送受信機能は徐々に回復し、3年遅れで地球へ帰還の途につきました。
ところが、地球帰還間近の2009年11月4日イオンエンジン4基目の故障が発生、絶望の記者会見を開きました。記者からは「よく幾多の危機を乗り越えた」、「合格点だ」と慰められました。しかし、スタッフはまだ諦めない。実は「はやぶさ」は130億円の実験機、打ち上げ前からそのコンピューターにこうなったらこうすると想定外のこともインプットしておりましたが、4つのエンジンを裏側でダイオードにて繋ぐという“コンプライアンス違反”の作り込みをしていました。許されるわけではないけれど、この“ルール違反”により推力が回復します。2010年6月、7年もの苦難の旅を共感と感動の輪の中に終わらせます。
講演後の質問の時間に私は手を挙げました。「このプロジェクトは多くのチームによって成り立っています。とかく日本では失敗の原因となったチームは他のチームから批判され責任論を問う声が大きくなるものですが、たび重なる危機を協調して乗り切れた要因は何でしょうか」と質問しました。的川先生は少し考えて、「我々のチームの中にはノーベル賞の候補にもなるようなベテランの科学者もちょっと前に大学院を出たような若い人も混在しています。しかし、誰でもものが言える。若い人もみな平等、ミッションを共有している。みんな大好きなことをやっているので諦めない。逆境が人と人をつなぐ」とおっしゃいました。この答えに私は講演以上に感動して涙が出そうでした。
誰でもものが言える。ミッションを共有する。「天災それとも人災?」で話題にした各々の節目でそれが出来ていたら—。東日本大震災の議事録未作成にも「義務はない」とする、失敗の反省を怠っても恥じないリーダー達と同様、いやそれ以上に繰り返してはならない大失敗である先の大戦での海軍を例にして、組織の在り方、リーダーの在り方をまた語ってみたいと存じます。戦争の話ばかりで恐縮ですが、お付き合いください。
ちょっと気分を変えて その1
小惑星探査機「はやぶさ」の設計、打ち上げに当初からかかわり、すべての行程を見守ってこられた宇宙航空研究開発機構(JAXA)名誉教授・技術参与の的川泰宣(まとがわやすのり)先生の講演を聴く機会に恵まれました。『この国とこの星と私たち-「はやぶさ」と日本人の心-』と題した講演会でした。「はやぶさ」をテーマに3本の映画が上映されましたが、的川先生は私が見たその2本目の映画の中でチームリーダー川口淳一郎JAXA教授を補佐する藤原竜也さんが演じていた人物です。「はやぶさ」は1~2メートル四方の小さな体で、7年間2592日、60億キロもの想像を絶する任務を全うし、46億年前の太陽系誕生の様子がそのまま残る直径500メートルの小惑星イトカワの地表の塵を回収し、わずか40cmの回収カプセルを身代わりに大気圏で散っていった惑星探査機でした。イトカワは的川先生の東京大学の師匠であった糸川英雄博士の名前を「はやぶさ」の打ち上げ(2003年5月9日)後、3ヵ月たった時点で命名されたと伺いました。イトカワは3億キロと地球から太陽までの2倍の距離にあり、電波が届くのに約17分を要するはるかかなたの宇宙の極めて小さな惑星です。その遠方まで「はやぶさ」を運んだイオンエンジンの推力であるキセノンガスはわずかに2グラムの推力だそうです。2グラムと言えば鼻息程度の微小推力でしかありませんが、宇宙では非常に効率が良く、塵も積もれば加速も大きく、そのエンジンが何千時間も持つのかという実験機でした。行きは順調に自立航行できました。いよいよイトカワに向かって降下し、計2回のタッチダウンを行った頃から故障が続出しました。2005年10月2日には姿勢制御のためのホイール2基目の故障、同11月26日には燃料が漏れ、シャットダウン。姿勢制御ができないばかりか、同12月8日には通信も途絶え、宇宙の孤児になりました。