小惑星探査機「はやぶさ」の設計、打ち上げに当初からかかわり、すべての行程を見守ってこられた宇宙航空研究開発機構(JAXA)名誉教授・技術参与の的川泰宣(まとがわやすのり)先生の講演を聴く機会に恵まれました。『この国とこの星と私たち-「はやぶさ」と日本人の心-』と題した講演会でした。「はやぶさ」をテーマに3本の映画が上映されましたが、的川先生は私が見たその2本目の映画の中でチームリーダー川口淳一郎JAXA教授を補佐する藤原竜也さんが演じていた人物です。「はやぶさ」は1~2メートル四方の小さな体で、7年間2592日、60億キロもの想像を絶する任務を全うし、46億年前の太陽系誕生の様子がそのまま残る直径500メートルの小惑星イトカワの地表の塵を回収し、わずか40cmの回収カプセルを身代わりに大気圏で散っていった惑星探査機でした。イトカワは的川先生の東京大学の師匠であった糸川英雄博士の名前を「はやぶさ」の打ち上げ(2003年5月9日)後、3ヵ月たった時点で命名されたと伺いました。イトカワは3億キロと地球から太陽までの2倍の距離にあり、電波が届くのに約17分を要するはるかかなたの宇宙の極めて小さな惑星です。その遠方まで「はやぶさ」を運んだイオンエンジンの推力であるキセノンガスはわずかに2グラムの推力だそうです。2グラムと言えば鼻息程度の微小推力でしかありませんが、宇宙では非常に効率が良く、塵も積もれば加速も大きく、そのエンジンが何千時間も持つのかという実験機でした。行きは順調に自立航行できました。いよいよイトカワに向かって降下し、計2回のタッチダウンを行った頃から故障が続出しました。2005年10月2日には姿勢制御のためのホイール2基目の故障、同11月26日には燃料が漏れ、シャットダウン。姿勢制御ができないばかりか、同12月8日には通信も途絶え、宇宙の孤児になりました。