「日本海軍はなぜ過ったか 海軍反省会四百時間の証言より」が教えてくれること   (その5 現代への教訓)

このシリーズは二度と手に入らない教科書である太平洋戦争の主役の一人を演じ、極めて優秀な頭脳集団とされた日本海軍がその戦力の中核である艦艇のほぼすべてを失って、事実上全滅した数々の要因をその時の指揮官らの行動から日本人がもっている思考遺伝子を明らかにしたいと思って始めました。その1~その4では、なぜ昭和史を学ばなければならないか、そして歴史が何を伝えてくれるのか、いわばシリーズの結論からスタートしました。
 海軍反省会の400時間のテープをひたすら聞き続け、この本の編集・出版にあたった方々が会得したものは、現代への教訓でした。
 私たちが注目したのは、当時の海軍士官の多くは「実は戦争には反対であり」「戦えば必ず負ける」と考えていたにもかかわらず、」組織の中に入るとそれが大きな声にならずに戦争がはじまり、間違っていると分かっている作戦も、誰も反対せずに終戦まで続けられていった、という実態である。そこには日本海軍という組織が持っていた体質、「縦割りのセクショナリズム」「問題を隠ぺいする体質」「ムードに流され意見を言えない空気」「責任の曖昧さ」があった。それは現在危機が進行中の、東京電力福島第一原子力発電所事故への関係機関の対応に見られるように、そのまま現代日本の組織が抱える問題や犯している罪でもあった。(藤木達弘氏)

「日本海軍はなぜ過ったか 海軍反省会四百時間の証言より」が教えてくれること   (その4 続・戦争は二度と手に入らない教科書)

ところが、言った当人が終戦と同時に、「あ、死ぬよりも、新しい国の復興のためにしたほうが役に立つんだ」と目が覚めるのです。
そんなこと、どちらかというとすぐにわかりそうなものですけど、それでほとんどの人が、そのまま天寿を全うする。戦後を生きていくわけです。
私は死ねばいいとは思いません。けれども、約束によって命令を出した相手は本当に死んでいるわけです。そういった深い約束をしているのに、それを一瞬にしてコロッと忘れて、周囲もそれを認めている。そういう人が戦後を作ってきたと思うとどんな約束でも状況が変わったら破っていいのだという風潮があるような気がするのです。
 こうすればよかった、という簡単な結論は言えないのですが、その約束というものは、本当に命がけの約束というものは本来、きちんと守らなくてはいけない。そういう世の中にならなくてはいけないのではないかと思うのです。「おまえ行け、俺も行く」と言って、相手は死んでいるのに、その数十分後にコロッと態度が変わるような人がいる。本当にそれでいいのか、という気持ちです。
 私は、一番激しい戦闘をした艦爆乗りの人を知っていましたが、彼は8月15日の午前10時ごろに特攻攻撃を命ぜられ、飛んでいるのです。命令する人は、数時間後に終戦が来
ることを知っています。指揮官は知っていて、まだ終戦ではないからと行かせるのです。
それでその時点でも必ず、「あとから行く」っていうのです。でもほとんど「あとから行く」ことはしないのです。そういう人たちが作った戦後というのが、戦後の一つの歪みの原因に潜んでいるのではないか、という気がしてならないのです。(戸高一成氏)