この本によりますと、開戦時の海軍の将兵は約32万人、このうちの海軍の幹部は海軍兵学校出の兵科の士官は新品少尉まで入れておおよそ5000人、管理職の佐官以上は2000人を切る人数だったそうです。そういう規模の会社と思えば、その中でいかに自分が出世していくかを常に考えながら仕事をしていく。海軍だって人間がやっていることなので小さな部署の人間として自分の部署を守る、という形にならざるを得なくなる(半藤一利氏)そうです。
組織というものは不思議なくらいに、少し飛び抜けて一歩進んだ人はいらないのです。邪魔なんですね。排除の論理というか、阻害の論理というか、「俺たち仲良くやってんだから、おまえ、そんなつまんない変なことを言うな」というような、排除の精神が動くんです。どこの会社や組織でもそうだと思います。(中略)きちんとした勉強をして素質的にも優れた人がいたにもかかわらず、海軍としての組織は排除するんです。軍人というのは、仲良しクラブでまとまっていく、つまり、余計なことはやるなよ、という考え方が強いんです。(半藤一利氏)
どこの会社や組織でもそうなのでしょうか。私個人の意見ですが、これは誰もが海軍兵学校を卒業し、海軍で励んで佐官クラスになれば、みんな平等の立場である公的機関だからそうなのではないのでしょうか。国家公務員上級職(今はこういう呼び方をしないそうですが)に通り、官庁に入ると確かにそうなのかもしれません。公務員だとそうなのかもしれません。しかし、私的な組織、私どもの世界である私立病院を例にとると、相澤先生のところも、近森先生のところも、理事長が大きな借金をして、それを跳ね返す素晴らしい個人的魅力、つまりカリスマ性で部下をぐいぐい引っ張っていかれている。個人の企業も同じことが言えるのではないのでしょうか。ここに私立の自由度と先進性があるのではないかと思います。
「日本海軍はなぜ過ったか 海軍反省会四百時間の証言より」が教えてくれること(その13 続・それで勝てると思っていた)
ハワイで撃ち漏らした敵空母機動部隊の位置がつかめず、その幻影におびえながらも、日本海軍の前線部隊である南雲機動部隊は、ミッドウェー基地を叩く陸用爆弾を攻撃機に搭載し、ミッドウェー島を目指します。ミッドウェー島から飛んでくる敵の飛行機はすごく航続距離のある飛行機ですから、わが機動部隊はどこを走っても捕捉されてしまいます。(半藤一利氏)
敵からはわが艦隊の位置は正確に捕捉されているにも拘わらず、敵の高速機動部隊の位置は分らないまま、島の陸上基地から飛来する敵攻撃機の撃退のためにゼロ戦を中心とする戦闘機隊を艦隊の上空制圧目的に常に配備しなければならなかった事情や、索敵を出すと攻撃用の飛行機の数が減るから出したくない(半藤一利氏)
という作戦面からの制約を
鑑みても、実際はたった一度しか敵艦隊の捕捉のための索敵機を出していなかったのは,刻々と変化する情報を得たほうが戦局を有利に展開できるという原則からみても大きな失敗といわざるを得ません。
もし、「大和」、「武蔵」をはじめとする強力な戦艦部隊が、南雲機動部隊と密接な連携作戦をとっていたら、戦艦部隊には索敵に熟練したパイロットが乗る多くの索敵機とそれを管理するそれぞれの参謀が役割分担を果たせば、日本海軍は正確な敵の位置を把握することができました。そして、目的とする島の防御体制の破壊に戦艦群の主砲が使えていたら、やはり日本は負けるべくして、負けたのかもしれません。