「日本海軍はなぜ過ったか 海軍反省会四百時間の証言より」が教えてくれること  (その16 空気の支配)

その1で述べたことですが、改めて書きます。なぜ勝算もないまま、戦争への道を突き進んでいったのか、我々日本人は極めて勤勉で真面目な愛すべき人種であるのに、残念ながらいつの時代もリーダーに恵まれたとは言い難い。歴史書にも学校教育の場でも明らかにされてこなかった昭和の一時代の真実を知ることは我々日本人の一人でもある指導者がいかに判断を誤っていくのか、その人種的遺伝子を知ることによって、我々は明日の行動をより間違いないものに変えていくことができるのかもしれない。そんな想いでこのシリーズをスタートしました。
昨年、経営共創基盤CEOの冨山和彦さんが講演の中でこう語っていました。見事に復活した日本航空(もっとも、全日空は「国家が債権放棄しただけだ」、と非難していますが)の復活のための3分の1・三点セットとして、①過剰な人員・人件費3分の1カット、②過剰な路線3分の1カット、③過剰な飛行機3分の1カットを挙げ、これはJASと合併した10数年前にすべきだった。そのためにJALは一度はつぶれた。この三点セットをやろうとすると、組合問題や企業年金問題で、職員、OBの反対にあった。政治家が介入した。役人が文句をつけた、ことを挙げ、当時の経営陣が体を張ってやり遂げなければいけなかった、と述べておられました。
さらに、「空気の支配」に負けた。判断を遅らせるムラ社会の空気があった。日本は70年前に空気でものを決めて大変な悲劇を味わった。米国に本当に勝てるとはエリートたちは思っていなかった、と述べています。それでは、その空気をつくった原因はどんなことだったのでしょうか?