「日本海軍はなぜ過ったか 海軍反省会四百時間の証言より」が教えてくれること(その18 続・日露戦争以来の大国意識)

海軍が予算をとったら何の事業をするのか、海軍の仕事は戦争か、というと、そうではないはずなんですよ。私は本当は、当然のことだけれど、抑止力だと思いますよ。戦争をしないことが、抜かれざる名刀であることが、本来の陸海軍の役目であるはずです。ところがこれが、どこかで刀を抜きたがるということが出てきてしまう(戸高一成氏)。
 予算を分捕って、軍事力が強くなればなるほど、ある種の力学が働いて、使わないではいられなくなるということがある、と私は思います。そこのところを抑えるのが、大臣であり、軍令部総長、政治家であるはずですね(澤地久枝氏)。(中略) ですからやっぱり、政府ですよね。時の政府はしっかりとしてなかったんですけど、昭和10年代の内閣は頻繁に代わっているじゃないですか。あれよあれよと代わっていますから、あれできちんと国策を立てて、業務を遂行していくということはできないと思いますね(半藤一利氏)。

この6年間、日本は総理大臣が毎年代わり、この間政権交代はあったものの、決められない政治が続きました。それどころか、鳩山政権では米国との関係が、野田政権では中国との関係が、国益を明らかに損なう結果となってしましました。まさに総理の器量がその地位にふさわしくないために国を駄目にしてしまう恐ろしい現実を目の当たりにすると、「歴史は最高の教師である」という言葉の重みを感じます。

「日本海軍はなぜ過ったか 海軍反省会四百時間の証言より」が教えてくれること(その17 日露戦争以来の大国意識)

 半藤一利さんは近代日本が迎えた最初の国難であった日露戦争勝利後の大国意識をその一因に挙げています。国家予算でいえば10倍、常備兵力でいえば15倍の超大国、帝政ロシアを敵に回しての戦争でした。
日露戦争が終わってからいよいよ、日本が大国意識を持つようになりまして、国民も後から持つようになるのですが、とりあえず政治家と軍人が大国意識を持ちはじめまして、軍人はそれに基づいて軍備を整える。すると、「陸軍は50個師団つくる」と言うんでしょう、大計画ですよ。日露戦争では13個師団で戦った。これを50個師団にするというんだから、ものすごい大規模なわけです。(中略)海軍としては頑張らざるをえないというので、陸軍を仇敵視するようになってくるわけです。そもそもが予算の分捕り合戦なんです。ですから、海軍は、太平洋戦争への道を陸軍によって引きずられた、という言い方が戦後ずっと続けられてきたんですが、それはある程度言えることなんですよ。満州事変から始まった日本の侵略戦争、大国意識に基づいた、外へ外へ出てゆく発展は陸軍が指導していますから、海軍はそれについていっただけだ、というところがあります。ですが、ずっと引っ張られていって結局、昭和15年9月に締結される日独伊三国同盟、そのときに、海軍がイエスというわけですよ、あっさりと。そのイエスと言った瞬間からこれはもう、大きな選択を誤りましたから、もはや戻れないという道を行ってしまったのだと思いますね。なぜ海軍はイエスと言ったのか、簡単なんです。予算なんです。「予算をがっぽりくれるんだな」と陸軍に約束させるわけです。陸軍は三国同盟を結びたいから、「予算を海軍の希望通りにする」と約束した。それならば、というわけで軍令部はイエスという。これが実情らしいんですよ。おもてに出てきてる問題としてはそんなことは言っていなくて、いろいろ理由をつけていますけど、内実を探るとお金なんです。海軍は、金で身を売ったんですよ。というと、海軍さんはみんなカンカンに怒って、おまえは出入り禁止だ、ってなりますけどね(半藤一利氏)。