昭和6年9月18日午後10時20分、奉天郊外柳条湖付近の南満州鉄道に仕掛けられた爆薬が爆発しました。関東軍司令部参謀板垣征四郎は鉄道爆破は張学良軍すなわち中国軍による日本軍への不法な攻撃である。よって直ちに張学良軍の本拠を攻撃し占領せよとの命令を下しました。いわゆる満州事変の勃発です。その3年前に起こった張作霖爆殺事件では、日本のマスコミは関東軍の動きを批判的に報道しました。軍はマスコミが軍の政策に協力しないと作戦は成功しないとマスコミ対策を練ります。そして、国内で満蒙問題が盛んに論じられ、「満蒙は日本の生命線である」と叫ばれるに至りました。さて、当時のダントツの新聞(朝日新聞と東京日日新聞)に加え、時事も報知も軍の満蒙問題に関しては厳しい論調でしたが、9月20日の朝刊からあっという間にひっくり返りました。
これは正統な権益の擁護の戦いであり、中国軍の計画的な行動であると報じました。「支那軍が鉄道守備隊を襲撃し、わが軍がこれに応戦した」との報道はそのまま大変な勢いで国民に伝えられました。ラジオが番組を中断して臨時ニュースを伝え、新聞が号外を連発して読者を煽りました(半藤一利著 昭和史 平凡社より)。半藤氏は「昭和がダメになったのはこの瞬間だ」と書いておられます。
うるさく言う人が多いので、最近はね、熱狂する前にまず最初に集団催眠にかかっちゃう。それが危険であるというようにしています。国民的催眠にかかっちゃうと、理性的でなくなって、わかんなくなっちゃうんですね。それから熱狂が始まるんです。いきなり熱狂にならなくて、まず国民的催眠にかかるんです。そういったことが、日本人はたくさんありますね(半藤一利氏)。