太平洋戦争で何百万という人が死んだ経験、こんな経験は、これからあろうはずはない し、あってはならないです。そういう経験はもう、あってはならないんで、だからこそこの戦争の歴史を勉強しなければいけないんですよ。何度もあることだったらまた勉強すれ ばいいけれど、そんなことはあり得ないし、あってはいけないのですから。何百万の命で得た教訓を無駄にしてはいけない。そういう意味でたとえばアメリカは、真珠湾攻撃で大被害を受けて、この被害に対する責任の所在を追及するレポートを出した委員会というものがあるんですよ(戸高一成氏)。
ルーズベルト大統領の、真珠湾攻撃の責任と問う裁判をやってますね(澤地久枝氏)。
そういうところが、日本とアメリカの違いです。あちらが良くてこちらが悪い、という意味ではなくて、やるべきことをやる、責任者をきちんと出す。日本には、責任は組織にではなく、人間にある、という体質がなかった。このことが大きな問題の一つでしょうね(戸高一成氏)。
アメリカは、真珠湾攻撃のことは、戦争中にすでにやっているんですよ。なぜ日本に奇襲されたか、と。これを戦争中にやってあるから、東京裁判の判決のなかで、真珠湾奇襲攻撃は一つも追及されていないんです。日本の真珠湾攻撃を本当は、アメリカは徹底的に犯罪として追及するつもりだったんだけれど、連合国側はアメリカが持ってきた資料を見ると、なんだ、アメリカの指導層はみんな日本が攻撃をしかけてくることを知っていたんじゃないか、とわかったんです。といのも、戦争中に彼らはもう責任追及をやっていた。欧米諸国というか、歴史を大事にする国はみんな、きちんとそうしたことをやっている。日本人は歴史を大事にしない国民なんですね。ですから、反省をして、きちんとした文章にして残すということは、今まで聞いたことがないですね(半藤一利氏)。
戦争を体験した日本人は近代戦のあまりの悲惨さに、それを文章はおろか家族にも語ってきませんでした。現在、NHKのレギュラー番組「ファミリ―ヒストリー」は高視聴率で支持されていますが、たかだか3世代前の苦労話が正確に伝わっていない、語られていないことに驚かされます。しかし、歴史を大事にすることが戦争を二度と繰り返さないことにつながるのであれば、義務教育のなかできちんと向き合って国家として結論を出さなければならない問題ではないかと考えます。
「日本海軍はなぜ過ったか 海軍反省会四百時間の証言より」が教えてくれること(その22 責任の所在)
私はこの海軍反省会からは、歴史というものは、たとえば明治時代が終わったら明治が終わるというものではなくて、生きている人間がずーっとつながっているものなのだ、ということを感じさせられましたね。昭和10年代には海軍の中堅幹部だった人が、昭和50年代に体験を語っているという事実が、歴史というものは本当に、過去完了ではなくてずっと今もつながっている、これからもずっとつながっていくものだ、ということをその内容とは別に、反省会の存在について感じました(戸高一成氏)。(中略) およそ組織と名のつくところは、どんなことでも何か大きな失敗があったというときには、これは大事なことだから、将来に教訓として伝えるためにしっかりと、どこにどういう原因があったかを明らかにいて残しておこうと、必ず討議をします。しかしながら実際には、一回たりとも残すということをやったことはないです。私が勤めていた出版社もしかり。他の組織に聞いてもおよそ、失敗についてきちっと反省をして、文書に残してこれはこういうところが間違っていたと後の人たちのために伝える、ということをしていませんね。日本の組織は、これは不思議なくらい、しませんね。勝利体験というものは、みんなして誇って、それを伝えますけれど、失敗体験というものは、これは隠します。責任者が出るということを嫌うんですね(半藤一利氏)。