「日本海軍はなぜ過ったか 海軍反省会四百時間の証言より」が教えてくれること (その26 おわりに)

歴史、とくに歴史の中でも戦争は、忍び足で、つまり足音が聞こえないようにずっとやってくる。いま、この時間だって、」歴史の中の一瞬なわけです。何の音もしないでしょう?そういう時代の動きのなかに、何が隠れているかということに敏感になってほしいと思います。でも、自分が生きる人生は一つの人生しかないけれど、本を読むことでたくさんの人生に出会って、そこから慰められたり、教えられたり、励まされたり、いろいろないいことがいっぱいあるので、若い人には本を読んでほしいと思います。私は、ミッドウェー海戦という、昭和17年6月に日本とアメリカが戦った非常に有名な海戦の、戦死者の数(両方の戦死者全員の人数、とくに日本側の人数が不明だったのです)を確認する仕事をしました。その海戦があった水域に行って、慰霊の船旅もしたし、それから、ミッドウェーの基地があったサンド島というところにも二回行っています。私は、海の上、船の上から美しい海を眺めて思ったんですね。この海の底には、十五歳からあるいは三十歳の人を含めて、かつて敵であった人たちが、もう見分けようのないくらいの、つまり、ただの白骨になって、深い海の底にいるわけです。まさに歌に歌われているように「水漬く屍」になって、その「水漬く屍」はいまや白い骨もないかもしれないですね。そういう非常につらい、不幸なことが起きたわけですが、それが戦争の一つの顔です。私が非常にこだわっているのは、15歳で戦死した人がいるという事実です。10代の戦死者は日本にもアメリカにもいます。そういう若い、幼い戦死者が、航空母艦の最期の断末魔のなかで何を考えたか、ということを思うわけです。ほかの船の例では、船が沈没するというとき、少年水兵たちは「かあちゃん、かあちゃん」と泣いて、旗を立てる棒にすがっていたといいます。こういうことが、若い人だからといって免れるのではなく、若い人にも起きうる、というのが戦争なのだ、ということなんです。映画でも劇画でもいいけれど、描かれている戦争は絵空事ではなくて、実際に起こったことであることをわかってください。私はそれを、書き残そうと思って仕事をしてきた人間です。どうぞ、私の本でなくていいから、本を読む人になってください(澤地久枝氏)。