私が大学病院で卒後教育を受けた頃、患者さんへの情報提供は医師のパターナリズムによって支配されていました。パターナリズム(paternalism)とは、父親的温情主義、父権主義、父権的干渉主義と訳され、本人の意志に関わりなく、本人の利益のために本人に代わって意志決定をすること、とされています。父親的な強い立場にある医師が患者さんは素人だ。自分で正しい判断を下すことはできない。その結果、医療行為に際しては、患者が医師より優位な立場に立てないことになります。
私は消化器内視鏡医ですので、胃がんや大腸がんの患者さんの主治医を勤めることが多かったのですが、なかには発見時にはすでに進行しきった状態の患者さんや、外科で手術をして頂き、一旦は退院されたあと、再発のために再入院された患者さんも少なからずいらっしゃいました。
患者さんへの病状説明は当時必ずパターナリズムに則ったものでした。「あなたは癌ではありません。しかし、難治性の疾患で時間がかかります。全力を尽くしますので一緒に頑張りましょう」という説明が大半でした。家族には正確に病状を話しますので、予後が不良であるのは理解していただけるのですが、問題は患者さんご本人です。病状は進行し、下血や全身倦怠感、腹水、体重減少など、とても良性疾患では説明のつかない病態の悪化を不安げに訴えられても、「一時的なものですから、腰を据えて頑張りましょう」と云い張らなくてはなりませんでした。ご家族も「決して癌だということを知らせないで下さい」と希望される方が大半でした。最初に看取った末期胃がんの患者さんは、闘病の最後には既に死を覚悟されているようでしたが、「気分を変えるため桜を見に行きましょう」と車椅子で敷地内の満開の桜を見に行きました。ある準公的病院でのことでしたが、これが見納めとしげしげと桜を見ていらっしゃるご老人の横顔を見ていると、「ああそうだったのか」と納得して死に臨んで頂けるために全てを告白すべきではないかという衝動にかられたことを忘れません。