6.日本人の通弊(幕末史、半藤一利著、新潮社より)
太平洋戦争の時もそうでした。日本人は往々にして、確かな情報が入ってきていても、起きたら困ることは起きないことにしようじゃないか、いやこれは起きないに違いない。そうに決まっている、大丈夫、これは起きないとなってしまうのです。昭和二十年八月のソ連による満洲侵攻です。シベリア鉄道を通ってソ連の兵力が、どんどんソ連国境に集結していることが、その年の春位から分かっていました。日ソ中立条約の一年後の破棄は四月に既に言ってきていますから、攻撃の可能性はあるのではないかということは、軍の中枢部のたいていの人は予測できたでしょう。とりわけ参謀本部が分からないはずはないのですが、「今ソ連に攻めてこられたらお手上げだ。処置なし。」、だから起こっちゃ困るんだ、起こっちゃ困ることは起きないのではないか、いや起きないのだ、というわけでソ連は来ないことに決めたのですね。八月九日午前零時をもってソ連が一気に満洲の国境を越えて攻めてきた時、参謀次長・河辺虎四郎中将は「ああ、我が判断は誤てり。」と日記に書きました。判断の誤りではなく、そういう風に思いたかっただけなのです。
自分たち日本国民を守ってくれるはずの満洲軍が我先にと逃げ出し、ソ連軍に蹂躙された入植者たちの悲劇は、想像を絶するものです。嗚呼、これも人災。