中曽根元首相が指摘しているように、科学技術立国の日本は大災害そして大津波による原発事故とどう戦い、どう克服していったかを見せられるか真価が問われていると思います。そしてこれは日本にしかできないこと、免震重要棟で不眠不休で頑張っている技術者たち、「福島フィフチィーズ」と欧米から注目・賞賛されている原発事故現場で体を張る作業にあたる人々、何とか日本の未来のために頑張ってほしいと思います。
「原発は要らない」と訴えるデモが散見されます。原子力に代わるエネルギーが安価で供給できるならともかく、太陽光や風力発電は現在のところ電力需要を補うにはあまりにも頼りなく、かといって二酸化炭素を大量に排出する火力発電の比率をさらに大きくすることは地球環境の面から許されることではないと思います。
放射能アレルギーである日本ですので、こういう大事故が起こってしまうとそういう心理状態になることは無理からぬことかもしれませんが、今後のエネルギー需要をどう賄うのかとい冷静な観点から判断していただきたいものです。
アレルギーといえば、返す返す残念であったのが原子力船むつの廃船でした。もともと調査研究用として1963年、なんと東京オリンピックの前年およそ半世紀前に建造計画が決まりました。1972年に核燃料が装荷され、日本初の原子動力船として1974年に出力上昇試験が太平洋上で開始されましたが、試験開始早々の同年9月1日放射線漏れが発生し帰港を余儀なくされますが、地元むつ市民は放射線漏れを起こしたむつの帰港を拒否したため、長い間漂泊しました。以後16年にわたり日本の港をさまよい改修を受け、4度の実験航海後1992年1月すべての航海を終了し、廃船が決定されました。これ以来、日本は原子力動力船の計画、建造や購入を放棄してしまいました。