4. 危機からの再出発(一部讀賣・日経5月上旬の紙面から)
自民党政権時の2009年6月経済産業省で開かれたある調査会で産業技術総合研究所の活断層・地震研究センター長は「869年の貞観地震で想定とは比べものにならない巨大な津波が来ている」と福島第一原子力発電所の危険性を繰り返し指摘していました。東電の担当者の答えは「研究的な課題としてとらえるべきだ」と素っ気ない返事だったそうです。それから2年足らず、福島第一原発事故の原因を東電は「想定外」としましたが、「想定」は間違いなくあったわけで、ただ直視してこなかっただけでした。
失敗学で有名な東大名誉教授の畑村洋太郎先生によると、「見たくないものは見ない。考えたくないことは考えない。米国は考えようと努力する国。日本は考えないままにしておく国」だそうです。最悪を考えない危機対策には限界があります。「福島原発が全電源を失ったらどうなるか」、昨年11月東電は福島県でそんな想定の避難訓練を実際にしているのですが、シナリオは数時間後には非常用電源が回復するというものでした。最悪のことはあえて考えない訓練は何の役にも立たなかったと住民から声が漏れたそうです。
米国は2001年9月11日の同時多発テロの経験を踏まえ、国内104基の原発に何重もの緊急時外部電源を配備する対策を進めてきたそうです。日本は最悪のことを考えず、ただ放置していた。その大きな差はなかなか埋まらないようです。
米国のオバマ大統領は4月末におきた竜巻の被害に対しアラバマ州など南部3州の知事の要請を受け、大規模災害宣言を出しました。宣言により医療費やがれきの片付けなどへの連邦予算の予備費の支出が自動的に認められるそうです。事態が悪化すれば知事は州軍による戒厳令を敷くことも可能になります。戒厳令下では私権は停止され、住民の強制排除、建物の事前許諾なしの取り壊しなどが出来るそうです。
戦争や内乱でなく、大規模な自然災害を「国家の非常事態」として、政府の強い権限行使を包括的に認めている国は少なくないそうです。しかし、わが国にはこういう想定がなく、結果的に福島第一原発の半径20km圏内の避難指示、20~30km圏内の屋内退避指示とその後の自主避難要請、20km圏外での計画的避難区域と緊急時避難準備区域の指定と理解するのも困難なあいまいな“お願い”を連発しました。そして警戒区域内への一時帰宅時の不満と混乱と不満ばかりが報道される結果となりました。有事に対する備えや決まり事を先送りにしてきた罰だと思われてなりません。