天災それとも人災?その3

2001年2月10日、ハワイ沖で日本の高校生の練習船「えひめ丸」が、アメリカ海軍の原子力潜水艦と衝突して沈没、日本人9名が死亡するという「えひめ丸事件」が発生しました。当時の森喜朗総理は第一報が入ったときゴルフ場におり、衝突により日本人が多数海に投げ込まれたことや、相手がアメリカ軍であることも判明していましたが、総理は第2報の後第3報が入るまで1時間半の間プレーを続け、これが危機管理意識上問題とされました。この事件の報道で森総理のゴルフプレイ姿が繰り返し放送されたため国民には悪印象が増幅し、マスコミにこのことを問いただされた総理が「プライベートだ」と答えたことで批判は拡大しました。事故を起こしたアメリカ側はブッシュ大統領が「事故の責任は全てアメリカにある」と謝罪しましたが、マスコミはこれを異例の素早い対応と評価、日本の事故処理の印象を一層悪いものとしました。
 その後も国家の危機管理に関して日本のリーダーには素早い危機対応能力を見せていただけた方は数少ないと思われます。これらの教訓から危機に瀕したリーダーに求められる初動は「我ここにあり」と自分の存在場所を内外に示し、そこに情報を集約することだと思われます。次にすべきことは送られてくる膨大な情報を冷静かつ客観的に整理・選択して、とるべき対応策のいくつかを提案できるブレーンを集め機能させることだと思われます。    
 この点に関して、現在批判されている管政権の初動に関しては大きな問題はなかったように思われますが、問題は次のブレーンの作り方にあったように思います。これに関しては後日詳しく述べますので、東電福島第1原発 一か月の動きに話を戻しましょう。