今日は5月10日、あの東日本大震災から2か月が経過しようとしています。
この度の大震災の犠牲となられた皆様のご冥福を謹んでお祈りし、被災者の方々に心からお見舞いを申し上げます。
ちょうどひと月前の4月10日、私たちの所属する国際ロータリー2700地区大会の特別記念講演は櫻井よしこさんの「日本よ、勁(つよ)き国となれ」というタイトルでしたが、その殆どが大震災と福島第一原発事故に対応すべき政府の不手際を問題視する内容でした。また、その日は統一地方選挙の前半戦の選挙日にあたり、翌日の朝刊は選挙結果の報道を控えておりましたので、大震災1か月を振り返り新聞各紙はその総括を載せていました。その中で、讀賣、日経と産經新聞の記事は強く心に残り、櫻井氏の論調にも共通するものでした。現在、管直人内閣の失政が際立って報道され、与党出身の西岡武夫参議院議長から「やるべきことをやっていない。今の状態で国政を担当するのは許されない」と2度までも異例ともいえる首相の進退に言及されています。大震災という歴史的な国難に対して求められる一国のリーダー像について、過去のわが国のリーダーと海外のリーダー、さらには最近読んだ「昭和史」(平凡社)の半藤一利氏の日本を歴史的な国難である敗戦と焦土に導いてしまった軍の高級将校のそれと対比しながら述べてみたいと思います。
1. 福島第一原発 一か月の動き(一部讀賣新聞から)
平成23年3月11日午後2時46分、1000年に一度といわれるマグニチュード9.0の大地震が東北地方太平洋沖で発生しました。地震発生の直後、官邸、経済産業省原子力安全・保安院(以下保安院)、東京電力(以下東電)も安堵感につつまれていました。福島原発の運転中の1~3号機は緊急停止し、バックアップ用の非常用ディーゼル発電機も起動したと伝えられていたからです。しかし、その後の津波で非常用電源13大中12台が損壊し、原子炉冷却機能が失われました。ただちに、東電は電源車をかき集め現地へ向かわせましたが、道路は渋滞し、現場近くの道路は寸断され前に進むことはできませんでした。さらに準備不足が露呈します。接続用の低圧ケーブルが足りなかったのです。12日午前0:00を過ぎても電源は回復しませんでした