在宅医養成の試み(その2)

訪問診療はこれから本格化する少子高齢化に向けて我が国の医療が大きく舵を切るべき方向であろうと思われます。政府は(長期)入院医療から在宅医療重視へのインセンティブを示すため訪問診療の報酬を引き上げ、在宅での看取りに10000点など魅力的な点数設定を行って参りました。そればかりか、元厚生労働省事務次官の辻哲夫現東京大学高齢社会総合研究機構教授は地域で支えるケアの構築のために、在宅療養支援診療所をその中心に位置づけておられます。辻氏は在宅医療テキストの巻頭言の中で次のように述べておられます。
「これまで医療は、人の若死にを念頭に置いて死との戦いという言葉で例えられるような面の強い営みをしてきましたが、大部分の人が老いて弱くなって亡くなるという時代においては、その過程を心豊かに生ききることができるように支えるという視点に立って、医療が変革していくことが求められていると思います。これまでは病院を中心として発展してきた臓器別を中心とする専門医療、いわば病院治療に加えて、生老病死という自然の営みの中で、弱ってもできる限りその人らしく生きることを生活の場で支える医療として、在宅医療という新しいジャンルが求められているのです。(中略)今までの病院医療とこれからの在宅医療が調和しながら、車の両輪のように今後の日本の高齢化をより良いかたちで支えることを願います。(一部抜粋)」
辻教授が述べておられるように現在では死亡者の3分の2が後期高齢者であり、20年後には4分の3となります。大部分の人が老いて、いくつもの病気をかかえ、寿命が尽きて亡くなる時代に、人の死をあたかも医学の敗北のようにとらえ、何が何でも生命の維持を第一義とするような濃厚治療ばかりが、患者さんご本人が望む最期に沿うものか考えるべきではないでしょうか。

動画をUPしました。是非一度ご覧ください。

http://www.tominaga-message.com/seminar.html

在宅医養成の試み(その1)

 日本医師会が中医協委員からその代表が締め出されたとの報道は記憶に新しいところです。診療所の収入を左右する再診料の設定はもちろんのことですが、救急病院のコンビニ受診が問題とされ病院崩壊が叫ばれる現在、診療所の機能の在り方論が論点となってくるのではないかと思います。
 かかりつけの患者さんの一次救急や医療相談をせめて午後9時くらいまでは診療所に求める声が高まっています。そのような中、診療時間が9時-6時でその他の時間の連絡の取れないビルクリニックの評価が下げられ、夜間連絡が可能な診療所や訪問診療をしてくれる在宅医の評価が高くなるのは致し方ないことかも知れません。
 都市部にはもはや開業する適地は見当たりません。無理に開業しても、過当競争の中で採算ベースに合う集患能力があるかどうか不安で開業を見合わせている先生を多くみます。
自分の得意な分野での開業のはずなのに、ライバルの数が多すぎる、今のペースで開業が増えれば共倒れする可能性もある、専門領域に特化したいが果たしてどれくらい来てくれるかわからない、専門領域にしても10年20年というスパンでスキルアップするにはどうしたらいいのか、といった不安からのことと思います。
 しかし、最近、訪問診療が高い報酬で評価されるようになり、午後の時間を訪問診療に当てることによって当初の集患能力の不足を補い、開業に踏み切る先生も少なくありません。

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廃止でいいの?後期高齢者医療制度(終回)

年月の経過とともにいつの間にか怒りはおさまり、現在、当事者である高齢者の半数以上が、今の制度に賛成だとする調査結果もあります。本当に廃止でいいのか、民主党は主人公である高齢者に直接聞く努力が必要だと思います。「医療現場の理解を得ておらず」というのが党としての反対の一つの理由としているのは本末転倒ではないのでしょうか。
長妻厚生労働大臣は10月3日、先の衆議院選挙の政権公約で揚げた現在の後期高齢者医療制度の廃止問題について、もとの老人保健制度は復活させず新制度を創設するとともに、来年度中の現行制度の廃止は断念する方針を固めた、と新聞は報道しています。現在、後期高齢者だけではなく前期高齢者に対しても、数々の負担軽減策が講じられ、その上での賛意が得られているのが現実です。主人公である国民のほとんどが負担を軽減された保険料であることすら知らない(伝えられていない)ことこそ問題だと思うのです。この国の将来を真に想う政権政党なら、誰もが医療機関にかかれる最低保障の国民皆保険を堅持するためどうすればよいのか、費用と負担をどうあるべきなのか国民に問いかけ、議論をすすめる責任があると思うのです。
まだまだ入り口にある高齢化と少子化、どのように我々日本人は乗り切っていくべきと皆様お考えですか?
次回からは、主として高齢者を在宅で支える在宅療養支援診療所を我が法人を挙げて育成・支援していこうという取組みに至った経緯をご紹介します。

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廃止でいいいの?後期高齢者医療制度(その4)

 ご存じの通り終末期医療に費やされる医療費はけた外れに高いものです。月に数百万円を超えるレセプトも少なくありません。しかし、お金の問題ではなく、寿命が尽きようとするとき「自分だったらこういう死に方がしたい」という本人の希望がかなえられていないことが一番の問題だと思います。人生の終え方を決める主人公の希望が通らず、家族や医療機関のメンツを優先する医療がさも当然のように行われている、こんな終末期医療は変だとは思いませんか。「自分の家で家族に見守られながら安らかに死にたい」と思う高齢者が過半数を占める現在、それをかかりつけ医に相談する行為のどこがいけないのでしょうか。
 早急に「命の公証役場」を設置すべきであると考えます。元気で暮らしているのに突然襲ってくる生命の危機に対しては出来る限りの治療をお願いするけれど、周囲から見て終末期で寿命が長くないなら延命治療は望まず、尊厳ある死に方をしたいと、私ならば登記するでしょう。多くの高齢者が普段から望んでいる終末期医療の在り方を急変時に証明する方法がないから、救急医療の現場は命が尽きようとする身体に鞭打つようなことをせざるを得ない。11/12の紙面は2006年3月発覚した富山県射水市民病院の延命治療を中止した2人の外科医を不起訴処分にしたと伝えています。死亡との因果関係の立証が難しいうえ、遺族が処罰を望んでいないことを考慮したとみられる(読売新聞)、とありました。このお二人は殺人容疑で書類送検されたのです。この国はいつまでこのような状況を放置しておくつもりなのでしょう。法曹界がリードしてもっと国民的議論を積み上げる必要があるのではないでしょうか。

廃止でいいの?後期高齢者医療制度(その3)

終末期相談支援料という報酬も問題になりました。「はやく死ねということか」と怒りで顔が引きつれたお年寄りの顔が忘れられません。しかし「死ぬ時は家で死にたい」「意識もないのに多数の管を入れられてまで延命して欲しくない」と同時に望んでおられる高齢者はたくさんおられます。回復の見込みの薄い場合、延命治療を行うかどうかについて前もって確認した場合医療機関に支援料が支払われる制度ですが、野党(当時)政治家の露骨な非難、一部マスコミのまるで鬼の首を取ったような恣意的な報道によって一時凍結となってしまいました。
すべての人にとって絶対に避けられないのが死です。寿命が尽きようとしている身体にスパゲチィみたいに多くの管を通し、全身ぶくぶくになり顔も変わってしまうほど水を入れ、挿管して生命維持を図る治療に何の意味があるのか。心停止に至っているのに「東京にいる息子にひと目会わせるまで」との家族の希望を入れて身体に馬乗りになって、肋骨がバキバキ折れるほどの心マッサージを続けることをいつまでも是としていてよいのか。人の死を医療の敗北とする終末期医療は一体いつまで続くのでしょうか。
永田町を怒りに満ちた表情で抗議を続ける高齢者の映像を見る度、新しい制度の本来の意味を国民にわかりやすく説明し理解させる責任をもつ部門や顔はどこの誰なのか、疑問に思います。国民一人ひとりにとって極めて大事な問題であるのに、真の国民的議論が必要であるはずなのに、政争の具にされている。これで先進国といえるのか本当に残念です。

廃止でいいの?後期高齢者医療制度(その2)

4~5年前のことですが80歳代前半の外来女性患者さんに私は、処方薬を少し整理しようと提案をしたことがあります。神経質な彼女は私の外来で5~6種類の処方を受けていました。彼女によくよく聞いてみると当科以外に整形外科、循環器内科、心療内科の3診療所を受診中とのことでした。処方されている薬剤の説明書を全医療機関分見せてもらって私は驚きました。何と全部で20数種類の薬剤が処方されていたのです。同じ薬効の薬が3ペアーありました。「これ全部飲んでるの?これ全部飲んだら死ぬよ」と思わず尋ねると、申し訳なさそうに「飲みやすいからこれとこれとこれを飲んでいる」との答え。循環器内科から処方されている彼女にとって一番必要だと思われる高価な薬は服用されてはいませんでした。
高齢者の五月雨受診が問題だと10年以上前から言われ続けてきました。月曜日は○○整形外科、火曜日は××眼科、—–、金曜日は☆☆内科と連日の外来受診、聞けば「友達と会えると寂しさが紛らわせるから」とのこと。これによって処方される薬はすぐに20~30種類にのぼり、その多くが捨てられている運命です。
捨てられるならまだ被害は少ないものの、服用すれば高齢者の腎機能・肝機能では薬害が発生する可能性は否定できません。ある腎臓専門医によれば糸球体腎炎などの原因疾患を持たない高齢者の腎機能の低下の一番の原因は多すぎる薬剤の服用だそうです。院外薬局でのお薬手帳による服薬指導が効果を発揮するはずですが、結果は上記の通りです。
これを管理・指導する役が後期高齢者医療制度に盛り込まれているかかりつけ医の意味です。高齢者の健康を管理し、薬剤の重複投与を防止し、ある時はゲートキーパーとして症状にあわせて必要があれば専門外来を紹介するこのかかりつけ医のどこがいけないのでしょうか? 決してフリーアクセスが制限されるものではありません。

廃止でいいの?後期高齢者医療制度(その1)

民主党が総選挙で大勝致しました。民主党ホームページ上に掲載されている民主党政策集INDEX2009を詳しく読んでみました。さすがに選挙前になると2008年に出た民主党医療制度改革大綱とは程遠い内容になっています。例えば、民主党医療制度改革大綱では38万床の療養病棟のうち11万床を削減するとしていましたが、今回は「療養病床38万床を維持しなければなりません。」となっています。「後期高齢者医療制度は廃止する」、と明記されていますが、「包括払い制度は推進する」そうです。その後段で「なお、後期高齢者医療制度でも外来医療費を定額にできる『包括払い』のような制度が導入されていますが、仕組みは全く異なります。75歳以上の高齢者のかかりつけ担当医が、慢性疾患を抱えがちな高齢者について、定期的に診療計画書を作成し、生活全般にかかわる指導・診察を行えば後期高齢者診療料が算定できるというものです。これは医療現場の理解を得られておらず、後期高齢者に限って医師へのフリーアクセスが制限され、必要な検査ができなくなる恐れがあることなどから民主党は反対しています。」と書かれています。
本当にそうでしょうか?今回のシリーズでは激増する高齢者にどうやって健やかに暮らして頂くかについて思うところを書かせて頂きます。

お勉強はもう苦痛ではないですか? -慢性期医療へのお誘い- (終回)

出ていくお金は高齢化に伴って毎年増え、入ってくるお金は少子化でどんどん少なくなっていく。税収はバブル期に約60兆円あったものが現在約45兆円、この経済不況で間もなく40兆円を下回るのではないかとみられています。老人国家に加速を続けている我が国では徐々に社会保障は縮小せざるを得なくなり、受給者も不満、納める若者も不満、皆が自分のことしか考えないようになるのでしょうか。社会保障制度の限界を迎える日も近いと思います。
しかし、皆さん、わが国がここでどこまで踏み止まれるかを世界の国々が注目しています。国家として一番多い支出である社会保障費、なかでも増え続ける医療費をどうコントロールするか。限りある医療財源をどう有効に配分するか、限りある医療資源をどう使って良質な医療・介護を提供するか、何を削りどこに集約投下するか、これを国家的視野で論じ、主張し、成果を挙げることが我々の使命ではないのでしょうか。それが医師という偏差値の高い頭脳集団に求められていることではないでしょうか。
慢性期の医療をもっとレベルの高いものにしようという趣旨で書いてきたこのコラムもあちこち寄り道をして12回目となりました。聖域と言われてきた医療界には多くの無駄と無理があります。医療の崩壊を人のせいにしないで、勤務医としての自分の人生を再度考えてみませんか。

お勉強はもう苦痛ではないですか? -慢性期医療へのお誘い- (その11)

下の図をご参照ください。
ある村に100人の住民がおり、うち5人が高齢者でした。この5人のために残る95人が一人一単位の額を拠出しました。すると高齢者は一人当たり95/5=19単位の可処分資本を頂けました。これが1950年頃の日本でした。2005年になりますと、高齢者は20人、生産者は80人です。拠出が一人一単位では足りそうもないので、3倍の3単位をお願いしました。それでも集まったのは240単位でそれを20人の高齢者で分けるとたったの12単位になりました。半世紀前に比べ税金(拠出額)は3倍になったのに、高齢者の自由になる資本は2/3になりました。さらに、25年経ちますと、高齢者は30人(高齢化率30%)、残りは70人で、一人5単位拠出しても高齢者の取り分はさらに目減りします。さらに25年後、これが日本の高齢化のピークですが、40人(高齢化率40%)、60人で一人7単位を集めても、またまた目減りしてしまいます。
2005年の時点に立って考えてみますと、この先半世紀で高齢者は倍になり、支え手は3/4に減る。高齢者のための拠出金は倍以上になるのに、可処分額は目減りしてしまう。そんな恐ろしい時代をわれわれは生きていかなければなりません。
 ましてや、経済不況と格差社会の中で、年収が上位の人の割合は変わらないのに、中の下から下位の人たちの年収が底抜け状態になって、雇用保険や生活保護の申請をする方が激増している現在、倍以上の拠出金をすべての生産者に求めることは不可能です。
 この超高齢化社会のなかで日本が皆保険制度をどう守るか、介護保険の設計をどうするか、世界の国々が注目しています。高齢化は先進国共通の悩みですが、その先頭を行く日本がお手本なのです。OECD諸国と比較して、対GDP比の医療費が低いから日本の医療崩壊が起こっているといった声が聞こえて参りますが、人口が500~1000万人と日本の1/20前後と少なく、高齢化率もまだ低い北欧諸国と比較して日本の低医療費を訴えて何かいい知恵が生まれてくるものでしょうか。

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お勉強はもう苦痛ではないですか? -慢性期医療へのお誘い- (その10)

印南氏が指摘されているように、田植えや稲刈り時の家庭内の介護力不足に基づく高齢者の長期入院、北国の越冬入院といった長いものから、退院日を大安の日に限定する六曜入院継続、病院の都合による空床回避入院継続、民間医療保険給付のための保険受給入院継続など、社会的入院は細かく言えば数限りなく見られます。問題はそれによってもたらされる廃用による身体機能の低下で、本人が望まない入院が本人の意向が無視されたまま継続されることです。社会的入院をなくせば一般病床で約17万床、療養病床で約15万床が不要になり、約一兆五千億円弱が適正化されると述べておられます。
私見ですが、高齢者に施行する手術など侵襲的医療は本来社会復帰を前提として行われるものですので、最終的に社会復帰が確認されたら追加して医療機関に収入があるような制度をとれないものかと考えます。前述のケースでは大腿骨頚部骨折の手術をして医療機関に対価としての診療報酬が支払われたあと、在宅復帰して一定期間に医療・介護費用が発生しなければ手術をした病院にボーナスが入るようにしてほしいと思うのです。そうなれば、病院は在宅復帰を最優先に早期にリハビリを行ってくれると思うからです。医師の目を担当の臓器から患者さんの全身管理へと向けさせるインセンティブが生じると思います。ボーナスは1000点(一万円)でも十分に効果が期待できると思いませんか。在院日数の短縮でその数十倍も医療費は節約できるはずですし、適正化される1.5兆円を引き合いに医療機関からボーナスの額を交渉する、健康を回復できた笑顔の対価を求める、そういう仕組み作りを医療関係者が提案し、現実化していくことが大切だと思います。