極めてずさんな管理下で、極めて異常なスピードで、この高難度の腹腔鏡下肝臓区域切除が行われてきたわけですが、患者さんや家族への説明はどのように行われ、同意書はどの程度の精度で書かれていたのでしょうか。この執刀医は第二外科の助教という地位にあり、各種学会の専門医・指導医であるわけで、所謂第二外科のエースの一人であったと考えられます(そうでなければ全国平均の10倍を超えるスピードで高難度の手術を行うことを特定機能病院という組織の中で許されることは説明できません)。
報道によるとそのエースが患者さんへのインフォームドコンセントを行ったかについて、病院側は「(本人は)患者に保険適応外手術であることや先進医療であることは伝えたと話している」としているようですが、カルテなどの記録には、助教が患者に説明した記録はなかったそうです。死亡患者8人のうち少なくとも2人の手術同意書に腹腔鏡手術であるという記載自体がないことが判明したと、全国紙は伝えています。さらに、死亡した患者のカルテも全体的に看護師による記入が主で、執刀医が記入した部分は非常に少なく、手術前後の経過は主に看護師の記述からたどるしかない状況で、検証に必要な重要な診療状況が不明確になっているそうです。中には手術当日でさえ医師の記述が全くないケースがあるなど、記録の不備が具体的に明らかになってきました。2011年に手術を受け死亡した患者さんの遺族は「肝臓にできた腫瘍を切ると言われたと思うが、腹腔鏡について説明された記憶がない」と話しているとされています。
遺族の証言に共通することは、「説明は横文字ばかりで理解できなかった。身体に侵襲の少ない方法で行われることをやたら強調された」というものでした。十数年前の2003年、夜も眠れないほど、悩んで、悩んで、解決した「説明と同意」を得るための法人独自の取り組み“説明支援ナース”の誕生を思い出しました。説明支援ナースの誕生の訳を再登場させます(続)。
「説明は横文字ばかりで理解できなかった・・・群馬大学第二外科報道より」その2
群馬大学病院が腹腔鏡手術について12月に公表した院内調査の中間報告では、①問題の医師は第二外科の意見や支援を受けずに手術を続けた。②手術前に患者や家族がサインした同意文書に十分な説明を受けた形跡がない。③腹腔鏡手術の過半数は保険適応外だったのに、保険がきくとして手術し、診療報酬の請求をしていた。④手術に肝臓が耐えられるかを判断するために、肝臓の大きさや状態などを把握する手術前の検査が不十分だった、などの問題点を挙げています。
しかし、新聞報道によりますと、第二外科の教授、そして病院長がこれら常軌を逸脱する医療行為が何年間も続けて行われ、多数の患者さんが死亡していることを十分認識していなかったことが明らかになりました。組織的な観点からいえば手術実施に至るまでの間、単独の医師の判断でことが進んでしまっていることが大きな問題と考えられます。なぜなら、事前に院内の臨床試験審議委員会に申請し、審査を受けることが内規で定められているそうですが、男性医師は申請しておらず、「認識が浅かった」と話しているとのことです。
また、高難度の腹腔鏡手術後に死亡した患者について問題点を検証する死亡症例検討会は8人が死亡しても開かれていませんでした。中間報告の際、病院長はその事実を認め、「診療科長(第二外科教授)の責任は重い」と述べたそうですが、何故3年半にわたり、死亡症例の検討さえ行われなかったのか明確な理由は明かさず、「認識の問題だと思う」と答えるにとどまっていたそうです。執刀医が高難度手術を繰り返した意図について問われると言葉に詰まり、返答に窮する場面もあったと全国紙は伝えています。
腹腔鏡を使った肝臓の切除手術は比較的実施しやすい部分切除に限り保険適用され、高度な技術が必要な区域切除は有効性や安全性が十分に確認されていないとみなされ保険適応外とされています。このため保険適応外手術を行うには、厚生労働省への先進医療の届け出や院内審査組織への申請が必要になる訳ですが、この執刀医はそれを怠っていたわけです(続)。
「説明は横文字ばかりで理解できなかった・・・群馬大学第二外科報道より」その1
忙しさにかまけて、ブログの再開が遅れましたことをお詫びいたします。最近の白十字会の活動をいろいろご紹介したいと思います。
「説明は横文字ばかりで理解できなかった・・・群馬大学第二外科報道より」その1
群馬大学第二外科の40歳代の男性執刀医による腹腔鏡手術を受けた8人が2011~14年に死亡。同じ医師が執刀した開腹手術の患者も09~13年に10人が死亡したことを群馬大学病院は2014年11月厚生労働省に報告しました。医療法では国や保健所設置者の自治体は、必要に応じて病院に立ち入り検査ができるとされています。厚生労働省と前橋市は2015年1月13日群馬大学病院への立ち入り検査を始めました。その結果驚くべき事実が明らかにされました。
まず、腹腔鏡手術を受けた60~80歳代の男性5人、女性3人は術後の容態悪化で2週間から100日以内に死亡されています。日本外科学会は1月15日記者会見を開き、腹腔鏡を使う保険適応外で高難度の肝臓手術は死亡率(手術後90日以内)が全国平均2.27%であった。これに対し今回問題となった群馬大学第二外科の死亡率は保険適応外に絞ると13.79%で全国平均の6倍になる事が分かったと報告しています。
日本外科学会は全国2336医療機関で行われた肝臓、膵臓など消化器の手術137万余件の症例をナショナル.クリニカル・データベースより分析し、高難度の開腹手術と腹腔鏡手術を合わせた2万3489件の肝臓手術全体について計算した死亡率は3.69%、保険適応外の腹腔鏡に限り算出した死亡率は2.27%と肝臓全体の平均値を下回っています。侵襲の少ない腹腔鏡手術症例の死亡率が、開腹手術のそれを下回る事は、高難度の手術であろうが、難度がそれ以下の手術例であろうが、当然のことと思われますが、群馬大学第二外科の死亡率は全国平均をはるかに上回るものであったという不名誉な事実を全国紙は伝えています。
さらに驚かされる事実は、肝臓手術全体に占める腹腔鏡手術の割合は全国的にも増加傾向にあり、全国平均は5.1%だそうですが、同外科の場合は約7割と極めて高く、高難度の手術の多くを、腹腔鏡で行っていた事実が明らかになりました。
しかも、40歳代の男性医師が群を抜いて多くの高難度の腹腔鏡手術に挑み、多くの死亡例を出したことを、当の大学病院はどのように評価していたのでしょうか(続)。
理事長ブログ新シリーズのお知らせ
総合メディカル株式会社がD to Dコンシェルジュ「経営者インタビュー」で白十字会を取り上げて頂けることになりました。白十字会ならではの取り組みや力を入れている分野を取材し、広報して頂く企画です。そこでこの「経営者インタビュー」の過去の投稿分を印刷してもらって、びっくりしたことがありました。4~5回のインタビュー分を載せて頂いているのですが、なんと、全てが慢性期専門医を作ろうとするものや今後急速に必要とされる在宅医養成のため「慢性期病院で働きながらその勉強をしませんか」と問いかける内容のものばかりでした。まるで、白十字会には慢性期病院しかないかのごとき印象を与えてしまったようですが、私としては、慢性期医療・在宅医療にもピカピカの専門医が必要で、それをどう作り込んでいくかの提案をさせて頂いたつもりでした。佐世保市と福岡市において二つの地域医療支援病院を展開し、それぞれが社会医療法人の要件である救急医療をさせて頂いている法人として、我々ならではの取り組みを、次号では紹介させて頂こうと思いました。そんな先月、佐世保中央病院の合計10種の患者さんを支援する療養指導士・法人内認定看護師の活躍ぶりを紹介し、慰労する会がありました。その中で糖尿病療養指導士がセンター機能の一環として、HbA1c測定の待ち時間を利用して合併症のチェック、教育指導を行い、患者さんがそれを理解し、皆で臓器を壊さない予防医療を展開している姿が紹介されました。続いてコメントに立った若い女医さんは、「自分の病気を理解し、悪化させない指導ができる病院を、県内や九州内に自分は知らない。だからこの病院を選んで来させてもらった.」と結んでくれました。もはや、医師を集めるのは、公的病院であることや、病院の規模、給与の高さではなく、医師を引き付ける病院の機能であることがわかります。それぞれの支援ナースの活躍ぶりとそれを評価する医師の声、更には我々ならではの医療秘書さんの活躍の様子をこのブログで紹介して参りたいと思います。
「日本海軍はなぜ過ったか 海軍反省会四百時間の証言より」が教えてくれること (その26 おわりに)
歴史、とくに歴史の中でも戦争は、忍び足で、つまり足音が聞こえないようにずっとやってくる。いま、この時間だって、」歴史の中の一瞬なわけです。何の音もしないでしょう?そういう時代の動きのなかに、何が隠れているかということに敏感になってほしいと思います。でも、自分が生きる人生は一つの人生しかないけれど、本を読むことでたくさんの人生に出会って、そこから慰められたり、教えられたり、励まされたり、いろいろないいことがいっぱいあるので、若い人には本を読んでほしいと思います。私は、ミッドウェー海戦という、昭和17年6月に日本とアメリカが戦った非常に有名な海戦の、戦死者の数(両方の戦死者全員の人数、とくに日本側の人数が不明だったのです)を確認する仕事をしました。その海戦があった水域に行って、慰霊の船旅もしたし、それから、ミッドウェーの基地があったサンド島というところにも二回行っています。私は、海の上、船の上から美しい海を眺めて思ったんですね。この海の底には、十五歳からあるいは三十歳の人を含めて、かつて敵であった人たちが、もう見分けようのないくらいの、つまり、ただの白骨になって、深い海の底にいるわけです。まさに歌に歌われているように「水漬く屍」になって、その「水漬く屍」はいまや白い骨もないかもしれないですね。そういう非常につらい、不幸なことが起きたわけですが、それが戦争の一つの顔です。私が非常にこだわっているのは、15歳で戦死した人がいるという事実です。10代の戦死者は日本にもアメリカにもいます。そういう若い、幼い戦死者が、航空母艦の最期の断末魔のなかで何を考えたか、ということを思うわけです。ほかの船の例では、船が沈没するというとき、少年水兵たちは「かあちゃん、かあちゃん」と泣いて、旗を立てる棒にすがっていたといいます。こういうことが、若い人だからといって免れるのではなく、若い人にも起きうる、というのが戦争なのだ、ということなんです。映画でも劇画でもいいけれど、描かれている戦争は絵空事ではなくて、実際に起こったことであることをわかってください。私はそれを、書き残そうと思って仕事をしてきた人間です。どうぞ、私の本でなくていいから、本を読む人になってください(澤地久枝氏)。
「日本海軍はなぜ過ったか 海軍反省会四百時間の証言より」が教えてくれること(その25 次世代に伝えたいこと)
歴史というものは要するに、年表とかを覚えることではないんですよ。歴史というものは人間がつくるもんですから、つまり、人間を知るため、言い方はおかしいんですが、人間をよくわかるためには、歴史が一番いいんです。私はよく言うんですが、つまり、歴史をやるということは人間学だ、と。歴史学ではなく人間学だと思って見れば、人間というものはいかに、こういう危機のときに周章狼狽して判断を間違うか、自分の命が惜しいばかりに、いかに卑劣なことをするか、そういうことが歴史にたくさん事例があるわけです。それは、昭和史だけでなく、歴史が全部そうなんです。それを学ぶ、それを知るということは、ものすごく日本の将来のためにいいことだと思うんです。とくに昭和史を学ぶことは、いまの日本人をいっそうよく知ることになります。私もいい歳になりましたけど、まだわからないことがたくさんあるんですよ。だから、戸高さんみたいな若い人に託さなければならないことが、ずいぶんあるかと思うんです。やはり、歴史は連続しているものだし、そのなかにとてもよく人間の本質が出ているものですから、多くの人は知ったほうがいいと思います。そのためにも、イデオロギーにとらわれないできるだけ公平な歴史、公正な歴史というものを残しておいたほうがいいな、と思っていまもやっています(半藤一利氏)。
「日本海軍はなぜ過ったか 海軍反省会四百時間の証言より」が教えてくれること(その24 歴史を学ぶということ)
これは、戦後の教育が悪かったんです。ひと言でいえば、歴史教育をしなくなった。正確に言えば、昭和20年12月31日にGHQからの指令で、歴史と地理と修身の授業を廃止しろということになった。それで、授業廃止が決定するまで、それからは細々と教えるために教科書に墨塗りをしました。そういった戦後教育の始まりから60年経ってまだ、日本の近代史をきちんと教えるということができていない。だから、反省会のようなものがテレビで放送されると、「えーっ」という感じで見るんじゃないですか?「学校で近代史を教えろ、昭和史は大事だから教えろ」という声は出ます。私なども「ご意見はいかがですか」と聞かれますが、その通りだと思う。ただし、できません。なぜなら、教える先生がいない。この理由の一つには、戦後の日本の占領期間が六年あった。これが長すぎましたね(半藤一利氏)。
でも、そういうことを知りたいという渇望がある。いまはそういう時勢なんですよ。考えてみたら、戦争はダメとか、憲法はどうだとか、世の中ではいろいろ言っているけれど、しかし自分は何も知らないなと思っている30代、40代の人たちが最近、いるのではないですか、知らないことに気づくのは、私はとてもいいことだと思います(澤地久枝氏)。(中略)
これは、歴史の教育というと大袈裟ですが、誰も知らなかったところにこの反省会の情報が提示されたことにインパクトがあったと思いますね。歴史というものは、私たちは普通は古代から時系列に沿って流れているという感覚ですけれど、私は少し違うと思うんです。歴史の何が大切かというと、過去の歴史が、いまの自分、いまの社会にどう影響しているか、それを知ることだと思うのです。ですから、一番近い現在からさかのぼって、なぜ、現在の状態になっているのか、の答えを、過去の事実の中に探すのが歴史研究だと思います(戸高一成氏)。
「日本海軍はなぜ過ったか 海軍反省会四百時間の証言より」が教えてくれること(その23 続・責任の所在)
太平洋戦争で何百万という人が死んだ経験、こんな経験は、これからあろうはずはない し、あってはならないです。そういう経験はもう、あってはならないんで、だからこそこの戦争の歴史を勉強しなければいけないんですよ。何度もあることだったらまた勉強すれ ばいいけれど、そんなことはあり得ないし、あってはいけないのですから。何百万の命で得た教訓を無駄にしてはいけない。そういう意味でたとえばアメリカは、真珠湾攻撃で大被害を受けて、この被害に対する責任の所在を追及するレポートを出した委員会というものがあるんですよ(戸高一成氏)。
ルーズベルト大統領の、真珠湾攻撃の責任と問う裁判をやってますね(澤地久枝氏)。
そういうところが、日本とアメリカの違いです。あちらが良くてこちらが悪い、という意味ではなくて、やるべきことをやる、責任者をきちんと出す。日本には、責任は組織にではなく、人間にある、という体質がなかった。このことが大きな問題の一つでしょうね(戸高一成氏)。
アメリカは、真珠湾攻撃のことは、戦争中にすでにやっているんですよ。なぜ日本に奇襲されたか、と。これを戦争中にやってあるから、東京裁判の判決のなかで、真珠湾奇襲攻撃は一つも追及されていないんです。日本の真珠湾攻撃を本当は、アメリカは徹底的に犯罪として追及するつもりだったんだけれど、連合国側はアメリカが持ってきた資料を見ると、なんだ、アメリカの指導層はみんな日本が攻撃をしかけてくることを知っていたんじゃないか、とわかったんです。といのも、戦争中に彼らはもう責任追及をやっていた。欧米諸国というか、歴史を大事にする国はみんな、きちんとそうしたことをやっている。日本人は歴史を大事にしない国民なんですね。ですから、反省をして、きちんとした文章にして残すということは、今まで聞いたことがないですね(半藤一利氏)。
戦争を体験した日本人は近代戦のあまりの悲惨さに、それを文章はおろか家族にも語ってきませんでした。現在、NHKのレギュラー番組「ファミリ―ヒストリー」は高視聴率で支持されていますが、たかだか3世代前の苦労話が正確に伝わっていない、語られていないことに驚かされます。しかし、歴史を大事にすることが戦争を二度と繰り返さないことにつながるのであれば、義務教育のなかできちんと向き合って国家として結論を出さなければならない問題ではないかと考えます。
「日本海軍はなぜ過ったか 海軍反省会四百時間の証言より」が教えてくれること(その22 責任の所在)
私はこの海軍反省会からは、歴史というものは、たとえば明治時代が終わったら明治が終わるというものではなくて、生きている人間がずーっとつながっているものなのだ、ということを感じさせられましたね。昭和10年代には海軍の中堅幹部だった人が、昭和50年代に体験を語っているという事実が、歴史というものは本当に、過去完了ではなくてずっと今もつながっている、これからもずっとつながっていくものだ、ということをその内容とは別に、反省会の存在について感じました(戸高一成氏)。(中略) およそ組織と名のつくところは、どんなことでも何か大きな失敗があったというときには、これは大事なことだから、将来に教訓として伝えるためにしっかりと、どこにどういう原因があったかを明らかにいて残しておこうと、必ず討議をします。しかしながら実際には、一回たりとも残すということをやったことはないです。私が勤めていた出版社もしかり。他の組織に聞いてもおよそ、失敗についてきちっと反省をして、文書に残してこれはこういうところが間違っていたと後の人たちのために伝える、ということをしていませんね。日本の組織は、これは不思議なくらい、しませんね。勝利体験というものは、みんなして誇って、それを伝えますけれど、失敗体験というものは、これは隠します。責任者が出るということを嫌うんですね(半藤一利氏)。
「日本海軍はなぜ過ったか 海軍反省会四百時間の証言より」が教えてくれること(その21 続・国民の熱狂)
昭和6年9月18日午後10時20分、奉天郊外柳条湖付近の南満州鉄道に仕掛けられた爆薬が爆発しました。関東軍司令部参謀板垣征四郎は鉄道爆破は張学良軍すなわち中国軍による日本軍への不法な攻撃である。よって直ちに張学良軍の本拠を攻撃し占領せよとの命令を下しました。いわゆる満州事変の勃発です。その3年前に起こった張作霖爆殺事件では、日本のマスコミは関東軍の動きを批判的に報道しました。軍はマスコミが軍の政策に協力しないと作戦は成功しないとマスコミ対策を練ります。そして、国内で満蒙問題が盛んに論じられ、「満蒙は日本の生命線である」と叫ばれるに至りました。さて、当時のダントツの新聞(朝日新聞と東京日日新聞)に加え、時事も報知も軍の満蒙問題に関しては厳しい論調でしたが、9月20日の朝刊からあっという間にひっくり返りました。
これは正統な権益の擁護の戦いであり、中国軍の計画的な行動であると報じました。「支那軍が鉄道守備隊を襲撃し、わが軍がこれに応戦した」との報道はそのまま大変な勢いで国民に伝えられました。ラジオが番組を中断して臨時ニュースを伝え、新聞が号外を連発して読者を煽りました(半藤一利著 昭和史 平凡社より)。半藤氏は「昭和がダメになったのはこの瞬間だ」と書いておられます。
うるさく言う人が多いので、最近はね、熱狂する前にまず最初に集団催眠にかかっちゃう。それが危険であるというようにしています。国民的催眠にかかっちゃうと、理性的でなくなって、わかんなくなっちゃうんですね。それから熱狂が始まるんです。いきなり熱狂にならなくて、まず国民的催眠にかかるんです。そういったことが、日本人はたくさんありますね(半藤一利氏)。